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中村久子(だるま娘)
中村久子は、明治30年に飛騨の高山(岐阜県)に生まれる。

貧しい畳職人の家ではあったが、結婚後11年目に生まれた子であり、両親の寵愛を一身に受ける。



だが、彼女が数えで3歳とき、「突発性脱疽」という病気を患う。

肉が焼け、骨がくさり、からだの組織が壊れてしまう病気だった。


医師からは、

「両足を切断しなければならない。
だが、子供のことだから、命の保証はない」

と宣告される。


両親は「切らずに治してください」と医師にすがる一方で、
父(とと)様は藁をもつかむ思いで新興宗教に走る。

夜も昼も一心不乱に神様への祈りを続けた。



久子の治療費と集会所へのお布施で、一家は貧困を極めていく。



ある日、久子のけたたましく泣き叫ぶ声に、母(かか)様が台所から駆け込んでくると、白いものがころげていた。

左手首がぽっきりと包帯ごと、もげて落ちていたのだ。

母様は、あまりの驚きと、悲しみのために気を失ってしまう。




久子は病院に担ぎ込まれ、その月のうちに左手首、ついで右手首、
次に左足は膝かかとの中間から、右足はかかとから切断された。

その後、何度も手術を繰り返す。



痛みのため昼も夜も泣き叫ぶので、近所から、「やかましい子」「汚い子」だと嫌がられ、毎年のように住まいを替えなければならなかった。





久子が7歳になったとき、父様は急性脳膜炎で亡くなる。


体の弱い母様は、生活力がなかった。

そのうえ、久子の病気の治療費がかさみ、多額の借金があった。

母子が生きていくため、母様は再婚する。





久子が9歳になったとき、目が急に痛みだし、そして、一夜にして失明する。

貧しさ故に、腹を痛めた5歳の長男(久子の弟)を育児院に送らなければならず、そのうえ、四肢だけでなく両眼を失明した久子をかかえ、母様は生きる望みを失ってしまう。

久子を道連れに、飛騨高山の激流に飛び込んで、心中しようとした。

しかし、大声で泣きわめきながら

「こわいよう、母様早くおうちへ帰ろうよう」

という久子の言葉に、我にかえり思いとどまる。



その後、久子は視力を回復する。


母様は決心する。

「久子が泣いても喚(わめ)いても、何か一生食べていけるものを身につけてやらねば・・・・」

それ以来、母様の厳しいしつけが始まった。

血のにじむような努力を重ね、縫物、編物、炊事、洗濯、掃除をひとりでできるようになっていく。





しかし、養父との生活は辛いものだった。

「お前のような障害者を家の子と思われるのは恥ずかしい」

と、学校にも通わせてもらえず、久子を一日中薄暗い二階の一室で過ごさせた。

お便所に行きたくてもすぐには行かれず、3時間も5時間も辛抱しなければならない。

食事を与えられないこともあった。

そのうえ、「厄介者」「穀つぶし」と義父は久子に言い続けた。

母様は、障害児をかかえての再婚ゆえ、義父やその親戚に対して肩身が狭く、義父に強くでることができなかった。





20歳になった久子は、見世物小屋に自分の体を売る決意をする。

このときの身売りのお金は、母様が久子の病気の治療のために背負った多額の借金と貧しい義父一家の生活費に充てられた。





その後、23年間、「だるま娘」の名前で、見世物芸人として、
日本全国、台湾、朝鮮、満州を渡り歩くことになる。




興行師のなかには、久子を食い物にするものもいた。

久子を監視下に置き、出演回数を増やし酷使し、満足な食事も与えず、売上のほとんどをとりあげた。

客の入りが悪いと罵倒して唾を吐きかけることもあった。

あまりの仕打ちのひどさに、何度警察に逃げこもうと思ったかわからない。

それでも、耐えるしかなかった。

障害者にはこの社会でしか生きる道がなかったのだ。


「人間は如何なる場合でも、如何なる職業に携わっていても魂を磨くことを忘れてはならぬ。
自分を卑しめることが一番の罪悪だ。
泥の中に咲く蓮の花の誇りをもって生きるよう、努力しなくてはならない。」

という友人の言葉に励まされ、自分の力で人生を好転させていく。



久子は、独学で読み書きを覚えた。

周囲からは、「障害者が学問なんてやって、なんになる」という罵声をあびさせられた。

だが、負けなかった。

彼女は本を読み、教養と精神性を高めていく。





昭和12年4月、日本にヘレン・ケラーが訪れる。

久子は彼女と会う。

ヘレン・ケラーは、涙を流しながら、彼女に言った。

「私より不幸な人、そして偉大な人」





久子は晩年、次のような言葉を残している。

「ある、ある、ある、みんなある」

「私を本当の人間にしてくれたのは、手足のない自分の体でした。」





こころの手足―中村久子自伝/中村久子(春秋社)

中村久子の生涯―四肢切断の一生/黒瀬昇次郎(致知社)

中村久子の一生―いのちありがとう/瀬上 敏雄 (春秋社)

わが母中村久子/中村富子(春秋社)

私の越えて来た道―こころの手足CDブック/中村久子(致知社)






彼女の体現からでた言葉は、魂を揺さぶる。

深く沁みこんでくる。

どんなに不自由であったとしても、泥を飲む環境を強いられたとしても、その中にいる自分を憐れみ、卑しめながら、その泥に染まって生きていくこともできる。

反対に、泥を飲みながらも、蓮の花であり続けることもできる。

自分への誇りが、泥さへも蓮の花にかえてしまうのだ。

どんな状況であったとしても、誇りを失ってはならない。

誇りは必ず、人生を好転させる。



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コメント
この記事へのコメント
トラックバックありがとうございます
お立ち寄りいただきありがとうございました。
中村久子さんの人生から学ぶことは
あまりにも大きすぎます。
ご共感いただき感激です・・・!
2005/07/15(金) 01:14:25 | URL | カメコ #-[ 編集]
はじめまして
TBありがとうございます。
わたしも たくさんのことを教わった本でした。
2005/07/15(金) 06:07:09 | URL | ruru #WE/ETjCY[ 編集]
遅くなりました
PCなしでブログをやっているものですから、お礼が遅れました。

TBありがとうございます。

中村久子さんは、とても私の語学力では表現のできないような素晴らしい方ですね。

ここを読ませて頂いて、改めて実感致しました。

また、お邪魔させて頂きます。

2005/07/17(日) 16:51:29 | URL | lector #STJsiQQU[ 編集]
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