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マリー・ローランサン(画家)
20050626213808.jpg


↑みたいなタッチの絵、見たことありません?
女性が集う、高級○○ていう場所で、必ずっていうほど見かけます。
ブティック、宝飾店、レストラン、化粧品店、エステサロンなどなど。



今回は、この絵を描いた女性の話です。



恋は生きることのすべて  ―マリー・ローランサン







1883年、パリのシャブロル街63番地に生まれる。

母親は、マリーを未婚で産む。

父親は、20歳年上のソム県ペロンヌの代議士。

だが、認知はされていない。いわゆるマリーは私生児として生まれる。


21歳のとき、画塾アカデミー・アンベールに入り、本格的に絵画の勉強を始める。

そこで、ジョルジュ・ブラックと知り合い、彼を通じて、ピカソ、ルソー、マチスなどと親交を深め、キュービズム運動の画家たちとも接近する。



彼らの溜まり場だったアトリエ兼古いアパート「洗濯船」のミューズ(女神)と言われるようになる。

マリーは男達を夢中にさせた。

マリーのもつ独特の世界観が彼らを魅了する。

最初の恋愛相手となる小説家アンリー・ポエール・ロシェはマリーの絵を、せっせと画商に売りこんだ、売れなければ彼自身が絵の買い手となった。





その頃、ピカソの紹介で、天才詩人ギョーム・アポリネールと出会う。

彼も例外ではなかった。

アポリネールは、マリーに詩的霊感を与え続け、マリーが芸術家として自覚するよう援けを惜しまなかった。

マリーを他の画家・詩人・画商・庇護者(パトロン)に紹介し、画壇のプリンセスに押し上げていった。

マリーは芸術の世界における地位を確立していく。





アポリネールは、手当たりしだいに女と寝ていた。

反面、マリーへの所有欲は強く、彼女の自由を認めようとはしない。

激しい個性と鋭い感性のぶつかり合いは亀裂を生む。

二人の別れを決定づける事件が起こる。

アポリネールがルーブル美術館で起きた「モナリザ」盗難事件の共犯容疑で逮捕されたのである。

疑いは晴れたが、事件後アポリネールは、ますますマリーに執着するようになり、自由を奪っていった。






30歳のとき、最愛の母を亡す。

母の死、アポリネールとの亀裂、マリーは孤独に耐えられなくなっていた。

そんなとき、ドイツ名門貴族で画家のオットー・クリスティアン・フォン・ヴェッチェンと出会う。

数ヶ月後、オットーからの結婚の申し込みを承諾する。

私生児が男爵夫人に成り上がったという事実に酔いしれた。





だが、1914年第一次世界大戦が勃発。

ドイツ国籍になっていた彼女は、故郷フランスを追われた。

スペインに亡命する。

その後、5年にわたる地獄の亡命生活を送ることになる。





スペイン政府にスパイ容疑をかけられ、つねに監視下にあった。

手紙も荷物も検閲を余儀なくされた。

頼りの夫は、粗野で女性の心を解さない男だった。

しだいにオットーは、アルコールに溺れ、数多くの愛人をつくり、家を空けることが多くなった。

実質的な結婚生活は三ヶ月で終わる。

マリーはどんな環境にあっても、誰かが彼女を気にかかえてくれること、やさしい情愛を交わす相手がそばにいることが必要だった。

次第に神経を衰弱していく。

ただ、絵を描くことが救いのはずなのに、それもできない、悪循環に陥ってしまう。



ピカソがマリーのことを「スペインに行ってから才能が衰えた」と相手かまわず吹聴しているというのを耳にする。

マリーをいっそう傷つけた。





マリーの失意を慰めたのは、パリに住む人気デザイナー、ポール・ポワレの妹ニコル・グルーだった。

この交流は、マリーに同姓愛に対する目覚めをもたらす。

ニコルの存在が、マリーに自信を回復させ、創作意欲を与えた。

が、ニコルがパリに帰ってしまうと、前よりもひどい孤独に陥った。

その寂しさを愛人たちとつかの間の恋をして、まぎらわした。





一方で、フランス将校として戦場にいるかつての恋人、アポリネールのことが頭から離れなかった。

アポリネールが結婚したという報告を受け打撃を受けた。

非情にも彼を捨て、自分はさっさと結婚したにもかかわらず、アポリネールは、生涯独身でいるものと勝手に信じていたのだ。





夫の不在、フランスからの追放、画壇からも忘れられ、かつて愛してくれた男の結婚。



「捨てられた女より、もっと哀れなのは、よるべない女です。

よるべない女より、もっと哀れな女は、追われた女です。

追われた女より、もっと哀れなのは、死んだ女です。

死んだ女より、もっと哀れなのは忘れられた女です。」




アポネールの危篤と死亡という知らせが届く。



オットーは、酒溺れ、働かず、財産を食いつぶした。

マリーは絵を売って生活費にあてた。

経済的にどんどん行き詰っていく。

ドイツ人の妻であるという理由で、フランスに戻れない。

形ばかりの夫婦なのに、彼女はオットーを失うのが怖かった。

愛する女の愛人ニコルも、戦争から夫が戻ると夫婦の情愛を取り戻し子供を儲け、マリーとの情愛を拒むようになっていく。

オットーを失えばマリーは文字通りひとりぼっちになってしまう。

不安と孤独とうつ病に苛(さいな)まれた。





戦争が終わり、「パリに戻りたい」という切望が高まり、フランス永住許可を得て、パリに戻る。

パリでの個展を大成功させ、再び画壇のプリンセスへと返り咲いた。

オットーと離婚をする。

画風にも変化が現れ、それまで寄り添っていた「憂い」が消え、繊細さと華やかさと官能性を併せ持つ、夢の世界の幸せな少女像を生み出した。

マリーに肖像画を描いてもらうことがパリ社交界の流行となり、舞台装置や衣装デザインなども手がけ、成功の階段をのぼっていく。

たちまち、時代のスターになった。

プライベートでも崇拝者たちに囲まれ、ちやほやされた。

恋愛ゲームを楽しんだ。






時代の流れの中で人の好みは変わっていく。

世間は、マリーの作品はもはや時代遅れだと酷評した。

いつしかマリーの存在は忘れ去られていく。

老いて、醜くなり、女の魅力が失われると同時に創作力も気力も失われていくようになる。





家政婦であり、情愛の相手だった、21歳年下のシュザンヌ・モローは、嫉妬心から、マリーの友人・情愛の相手を締め出し、遠ざけた。

マリーもまた捨てられることを怖れ、シュザンヌの思うままにさせる。

マリーは彼女を養女にした。

マリーは72歳のとき、心臓発作でこの世を去る。

寂しい最後であった。



マリー・ローランサン美術館公式ページ


【書籍】
「恋を追う女(ひと)―小説マリー・ローランサン」
山崎 洋子 (著) 単行本 (1996/05) 集英社


「マリー・ローランサン」
ジョゼ ピエール (著), 阿部 良雄 (翻訳) 単行本
(1991/09)美術公論社 (1991/09)


「マリー・ローランサン」
フロラ グルー (著), 工藤 庸子 (翻訳) 単行本
(1989/10) 新潮社




マリーは「恋愛ゲーム」を楽しんだ。

マリーは愛というより、快楽を楽しんだ。

次から次へと愛人をつくった。

パリでスペインでドイツで、何人もの男と寝た。

ちやほやされることに快楽を感じ、それに酔いしれた。

孤独を、他者からの関心で埋めようとした。

甘い微笑で相手を誘い、相手からありったけの愛を奪うくせに、自分はその愛に応えない。

相手を傷つけ、自分も傷つく。結婚も気まぐれだった。

本当に自分を愛してくれたアポリネールの存在の大きさにも気づかず、簡単に捨ててしまう。





「恋愛ゲーム」を楽しむ人には、どこかしら自信がない。

自分を愛してくれる相手がいなければ、自分を無価値と感じ、不安から次々と恋をしてしまう。

若さと肉体的衰えに恐怖を覚える。

マリー・ローランサンもまた晩年、人との接触を拒んだ。





年齢や顔の皺ではない。

“あきらめ”が女性の魅力を衰えさせるのである。





現にマリーと親交のあった、同じ年のココ・シャネルは60歳になっても、恋と野心から遠ざかることはなかった。

恋のためスパイ容疑をかけられ、スイスに亡命せざるを得なくなったが、その愛を貫いた。





マルグリット・デュラスは、66歳のとき38歳年下のヤンと恋におち、亡くなるまでの16年間愛を育んだ。

そして、世界的大ベストセラーとなる「愛人/ラマン」を生み出す。

一見「恋愛ゲーム」に思えるが、彼女の恋には常に激しい情熱がともなっていた。




自信と情熱の積み重ねが、年齢・肉体を超えた女性の魅力を引き出し、輝きを与える。




マリー・ローランサンの絵は、いまもなお、私たちに感動を与えてくれる。

才能ある女性なのに、なんだかもったいないな!





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マルグリット・デュラス(作家)

「そうよ、インテリは何でも上手だわ。

本を書くのも、料理も、庭仕事も、セックスも・・・」

 ― 愛人/ラマン 最終章 ―





この言葉を2年前、テレビに流れる映画PRのなかで耳にする。



確かに、センスのある男は、セックスも上手い。

テクニックではない。

相手のリズムを、そして呼吸を瞬時に感じ、合わせてくる。

そして、ズムーズに快楽へと導いてくれる。



彼女は、66歳にして、38歳年下の男性、当時28歳のヤン・アドレアを魅了し続けた。
 

彼女の名は、マルグリット・デュラス。

私が、この名を知ったのは、映画『愛人/ラマン』。

彼女の少女時代を描いた映画である。

『愛人/ラマン』以後も愛に生きつづけた。





マルグリット・デュラスは、1914年仏領インドシナに生まれる。

入植者の娘として生まれながらも、4歳のとき、父が死に、

豪華な官舎住まいから木造の家屋に移る。

植民地における最低の白人、白人より原地人に近い貧しい暮らしを続ける。
 


母親は将来に夢をいだき、長い年月にわたって貯金をした。

だが、詐欺にあう。

苦労の結晶である貯金をつぎ込んだ払い下げ分譲地は、

一年の半分は海水に漬かってしまう耕作不能の土地だった。

母親は借金をして、防波堤をつくった。

高潮により、一晩にうちに防波堤は崩壊してしまう。

母親は、みんなから軽蔑され、債権者に追い回され、

持ち物を次々と売り払っていく。





デュラスには2人の兄がいたが。

母親は、上の兄のみを寵愛し、彼のことになると、泥棒、暴力沙汰、不正行為、なんでも許してしまう。

デュラスは、下の兄が、上の兄の残虐な暴力に殺されるのではいかと怯た。

母親に愛されないという共感から、下の兄への近親相姦愛を抱くようになっていく。

そして、下の兄とタブー(性行為)を犯す。





憎悪と殺意の渦巻く家庭の重圧が、彼女を街に放り出した。

そして、売春へと身をゆだねていく。

高級乗用車の中国人を相手に、体を売る。

所有され、利用され、貫かれる。

性的快楽と欲望の淫らさへ入っていく。

デュラス、14歳のときである。

連れ込み部屋へ、母の借金と上の兄の借金(博打、アヘン)を返済するための金をとりにいく。

男の用意した札束の入った封筒をランドセルに入れ、立ち去る。
 




フランスに戻ってからも、数多くの愛人をつくり、恋愛遊戯を楽しみ続ける。

25歳のとき結婚する。愛人の子を産む。夫と離婚。





62歳になったデュラスのもとに、

彼女の熱烈な読者であるヤンというバイセクシャルの大学生から、毎日のように手紙が届くようになる。

それは5年に及ぶ。その手紙を彼女は読むが、返事はしない。

数多く贈られてくる読者からの手紙の一つにすぎなかった。





ある晩、彼女は思い切って、彼に返事をする。

「あなたのそばにいたいと思います・・・・・」

孤独な独り暮らしをする彼女にとって、

彼の出した数え切れないほどの手紙が大切なものとなっていた。

彼女はアパルトマンで、彼を待ち受ける。

彼はすぐにやってくる。

彼女のアパルトマンのドアをノックし、彼女がドアを開けて彼を招き入れる。

以来彼はずっと彼女のそばに居ることになる。

彼女が死ぬまでの16年間。

デュラス66歳、ヤン28歳。





38歳という年齢差から、私は当初二人の関係は、あくまでプラトニックだろうと予想していた。

違う。

出会った翌日には肉体関係を結ぶ。

66歳のデュラスは、その野生的魅力で彼を勃起させてしまう。

それどころか、彼は今まで自分はセックスをしたことがあったのだろうか、と自問するほどの異様な性的快楽を知るのである。




 
ヤンは、デュラスを浴槽にいれる。

体を洗う。シャンプーをしてあげる。

デュラスが身震いするとその肩にショールをかける。

彼女がよろめくと夜会の終わりにはささえる。

彼女の靴紐を結び直してやる。





デュラスは、ヤンが家族や友人と連絡をとるのを嫌った。

ヤン専用の電話を取り外す。

レストランのメニューも洋服も香水も、ヤンに選択権はない。

家の外に、ヤンのトランクを投げ捨てる。

「一文の価値もない男」とヤンを罵る。

人前であっても「役立たず、厄介者」と馬鹿にする。




デュラスのわがままきわまる横暴さに、ヤンは我慢できなくなる。

自殺したい衝動にかられ、ヤンは何度も家を出る。

そして、戻ってくる。


二人は、離れられない。




「いつだって運をかけるべきなのよ。なんでもやってみるべきなのよ」

「名声なんて実にくだらないものよ」





彼女はいかなる時も物怖じしない。

どんなことがあろうと諦めようとしない。

普遍的で真実でありたいと希求する。





私たちは、恋愛遍歴を肉体遍歴と誤解しがちだが、

「私は欲望を抱くごとに愛している」

と愛(熱情)をともなわないセックスを、肉体に対する犯罪だと嫌悪する。

彼女はいつだって真剣なのだ。

彼女の激しい熱情が、関わる人間に躍動感を与える。

彼女の濃密な内的世界が、溢れてくる言葉の数々が男どもを魅了していく。





世界的に有名な女流作家と若い男。

利用関係にあると思っていた。

二人の激しいぶつかりあいは、互いに命を与えていたと思う。

自殺願望の強い青年がはじめて愛を知り、

彼の存在が世界的な大ベストセラーを生みだしていくことになる。

デュラスは70歳を過ぎてからの作品のほうが多い。





私たち、特に女性は、潜在的に恋愛に年齢制限を設けてしまう。

年齢を超えた愛の形、肉体を超えた愛の形が、ここに存在する。





【DVD】

愛人(ラマン) 無修正版 
『愛人(ラマン) 無修正版』
出演:ジェーン・マーチ, レオン・カーフェイ
監督:ジャン=ジャック・アノー
フランス領インドシナ時代のマルグリット・デュラスを描く。


愛人/ラマン 最終章 
『愛人/ラマン 最終章』
出演: ジャンヌ・モロー, エメリック・ドゥマリニー
監督:ジョゼ・ダヤン 晩年のマルグリット・デュラス。
38歳年下のヤン・アンドレアとの愛の軌跡を描く。


二十四時間の情事 
『二十四時間の情事』
出演:エマニュエル・リヴァ, 岡田英次
監督:アラン・レネ



インディア・ソング 
『インディア・ソング』
出演:デルフィーヌ・セイリグ, ミシェル・ロンズデール
監督:マルグリッド・デュラス



【書籍】

愛人(ラマン) 
「愛人(ラマン)」
マルグリット・デュラス 文庫(1992/02)河出書房新社



北の愛人
「北の愛人」
マルグリット・デュラス 単行本(1992/02)河出書房新社



デュラス、あなたは僕を本当に愛していたのですか 
「デュラス、あなたは僕を本当に愛していたのですか」
ヤン・アンドレア 単行本(2001/05)河出書房新社




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山崎朋子(作家)

〔愛人の変心怒り切る〕

18日午前0時45分ごろ渋谷区代々木本町753で、代々木上原町1101女給大畑朋子(26)は、同****町*の***、会社員吉田茂三(29)に果物ナイフで頭などを切られ、3週間の傷をうけた。
吉田は間もなく代々木署に自首した。
朋子さんに男ができたのを恨んだらしい。

―毎日新聞(東京版)1958(昭和33)年5月18日付夕刊―






ふたつの眼を、生あたたかくて粘っこいものがふさいだ。血だ。

多量の出血で、心身喪失状態におちいり、記憶を失った。





どれほどの時間が経ったのだろうか、顔と手に走るするどい疼(うず)きで目が覚めた。

傷は、顔に7箇所、縫われた針の数は68針。
かばった両手の傷多数。

顔と顔をかばって前に出た両手は、鋭いナイフで切り裂かれていた。





朋子とその男性との間には、世に言う愛情関係などなかった。

今でいうストーカーである。





朋子は、その時26歳。

女優を夢見て、上京してきた。

貧しかったが、喫茶店でウェートレスをし、アルバイトとはいえモデルとして臨時収入を得ながら、演劇を学んでいた。

大手の出版社の週刊誌の表紙モデル、雑誌のイメージガールという話も決まり、女優への夢を掴みかけていた。





周囲の慰めも、白々しく思えた。

モデルや女優どころか顔じゅう傷だらけの女を雇ってくれるところなどあるはずない。

男から顔を切られた女と結婚しようという男性などいるはずない。

財産などなく身ひとつの私は、どうやって生きていけばいいのか。





若い看護婦が去ったあと、毛布を顔の上まで引き上げて、声を圧し殺して泣いた。

あの若くて綺麗な看護婦には、輝かしい未来があるけれども、顔じゅう傷だらけの私には、もはや人生はない。

死んでしまうのが一番良い。

この窓から飛び降りれば、すべてが終わり、もう、私は何も悩まなくて済むのに・・・。




彼女は退院し、警察病院に通院するようになる。

傷痕も身の内と思えるぐらい立ち直ることができたが、現実が重くのしかかった。

治療費と生活費のために、彼女は働かなくてはならない。

新聞の求人欄に眼を走らせ、幾通かの履歴書を郵送した。

いずれも面接選考で不採用とされる。

ようやく雇ってくれたところがあったが、仕事はというと清掃、それも主としてトイレの清掃であった。

顔に傷痕の残る女に社会が与えてくれたのは、このような仕事しかなかった。

会社の指示によって日に幾軒かの会社やら飲食店などを回り、トイレとその周辺の掃除をした。

だが、両手に受けていた傷による引きつりのために、重いバケツをもつことも、モップを自在に使うこともできなくなった。



朋子は、唯一の仕事を失った。



この先の生計の不安と辛さで打ち拉がれていたとき、以前勤めていた喫茶店ロンから声がかかった。

そして、なんとかレジスターの仕事を得ることができた。





数ヶ月が経った秋の夜、児童文学者である上笙一郎(山崎健寿)と出会う。

半年後、プロポーズされる。


「朋子さん、わたしは、誇れる家柄も学歴もない。
不安定な売文暮らしで、定収入もない。
その上、過去に結核の患っていました・・・わたしは、あなたに、『しあわせを約束します』と言うことができません。
しかし、あなたを好きだし、信頼しているつもりだし、対等の立場で協力し合って暮らし、一緒に学んでいくことはできると思うし、そのように努めるつもりです。
ですから、どうか、わたしと結婚して下さい。」


上は、朋子の過去も、顔の傷も受け入れてくれた。

朋子は承諾する。





貧しいながらも、二人の生活はスタートした。

やがて、長女美々も誕生する。

朋子は、上の仕事を見よう見真似に、文章を書き始める。

上との共著「日本の幼稚園―幼児教育の歴史」を書き上げ、第20回毎日出版文化賞に選ばれる。



朋子は、「アジア女性交流史研究会」を立ち上げ、歴史上、存在さえも無視されてきた、アジアの、弱くて虐げられた女性たち、みずからの性を売らなければならなかった女性たちに目を向けるようになっていく。





そして、天草島で、宿命的な出会いをする。

崎津の天主堂で、身なりの貧しい小柄な老婆と出会う。

彼女の名は、山川サキ。70歳前後。

朋子は、サキが「からゆきさん」であった、との確信を強め、彼女の過去を聞きだすため、その目的を隠し、サキと共同生活をはじめた。





今にも崩壊しそうなあばら屋、畳は腐り、ムカデの巣と化していた。

井戸もなければトイレもなく、ひと月を、息子から送られてくる、4千円の金で生きていた。

経済高度成長のまっただなか、困窮者に最低生活をさせるべく国が出す生活保護費だって、約7千円という時に、彼女はたったの4千円で命をつないでいたのである。

しかも、幾匹もの捨て猫に、「これも、命あるものじゃけん」と言って情けをかけ、餌を扶持しながら。





サキは、10歳のとき、女衒(ぜげん)の口車を信じて、東南アジア(北ボルネオのサンダカン)へ行き、13歳で客をとらされた。

借金は3百円がいつの間にか2千円にふくれあがっていた。

利子は増え続け、13歳のサキにその借金の重みがズッシリとのしかかり、外国人相手の娼婦として、地獄のような生活を送る。

多いときは、ひと晩に30人の客をとらされた。

月のもののときも、からだの奥にきつく紙を詰めて、客をとった。

病気になっても、仕事を休むことはできなかった。



20年あまりの歳月の後、頭の病になり、日本に帰される。

母は死に、兄の矢須吉も「からゆきさん」であるサキの外聞を気にして、避けるようになっていた。

サキの送金で建てた家には、居場所はなかった。

あれほど恋焦がれた天草も、もはや故郷ではなくなっていたのだ。

その後、満州に渡り、結婚し、男の子を産む。

敗戦後、すべての財産を奪われ、命からがら、日本に戻り、京都に住み始める。



夫も亡くなり、息子が二十歳を過ぎた頃、サキ一人で天草へ帰された。
息子は、「からゆきさん」であった母を恥じた。

結婚するのに、サキが邪魔になったのだ。

天草でも、村びとから差別の目を向けられながら、困窮を極めた生活を強いられていた。








朋子とサキの生活は三週間続いた。

最後の日、サキに、三週間もの間、なぜ自分の身の上について訊かなかったのか、たずねた。


「おまえが話さんものを、どうして、他人のうちが訊いてよかもんかね」


朋子は泣き崩れた。

軽率で思いやりのない人間は、人が誰にも打ち明けようとしない苦悩や秘密をいだいていれば、何とかしてそれを聞き出そうとするようなことが多い。

が、思慮深く思いやりのある人間は、そういう悩みをかかえた人を、その当人の気持ちのままにそっとしておき、何をしてやることもできず、その人を遠くからただ見守らざるを得ない苦しみを、自ら引き受ける。

誰に話しても癒えることのない苦悩を抱いたことのある朋子が誰よりも知っている。

なまなましい傷痕をかかえ、道を歩けばかならず人は振りかえり、友人たちは何となく遠ざかり、結婚の資格もなくなったと深く悩み続けた。

そういう朋子にとって、思いやりのある態度とは、顔の傷痕について何も訊いてくれないことであり、思いやりのない態度とは、同情心と引き替えにその傷のついた原因を、根堀り葉掘りたずねることであった。

なかには、最高学府にまで学んで良識をそなえていると見なされていながら、その傷痕はなぜついたのかと問いつめ、何ヶ所あるのかと指先で数え、そして髪でおおわれている片頬にはもっと大きい傷があるだろうと、調べてみる人びともあった。



自分の素性と滞在の目的を明かし、詫びた。


「もう、泣かんでよか、うちのことを本に書くちゅうことじゃが、おまえが書くとならなんもかまわんと。

うちは、外国のことでも村のことでも、おまえに嘘は爪の先ほども言うとらん。

本当のこと書くとなら、誰にも遠慮することはなか―」



サキは、なにもかも承知の上で、朋子を受け入れ、もっとも知られたくない秘密をつかみに来た女に力を貸していたのだ。



朋子は、別れを惜しみながら帰京する。





4年後、「サンダカン八番娼館」として、筑摩書房から出版する。

翌年、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

評判が評判を呼び、その波が増刷につながり、世界各国で翻訳、出版された。

映画監督として知られる熊井啓さんよって映画「サンダカン八番娼館・望郷」が作られる。

アカデミー賞にて外国映画賞、ベルリン国際映画祭にて、田中絹代は女優賞を受賞する。



【書籍】

サンダカンまで―わたしの生きた道
「サンダカンまで―わたしの生きた道」
山崎 朋子 (著) 単行本 (2001/11) 朝日新聞社



「サンダカン八番娼館」
山崎 朋子 (著) 文庫 (1975/01) 文藝春秋




【DVD】

サンダカン八番娼館 望郷
『サンダカン八番娼館 望郷』
出演:田中絹代、栗原小巻, 高橋洋子
監督:熊井啓






あの事件がなければ、女優として成功していたかもしれない。

だが、第三者の歪んだ悪意により、美しい容姿は、切り裂かれた。

経済的にも精神的にもどん底に突き落とされた。

突き落とされてはじめて経験した痛み。

痛みを体験したものだけが、痛みを共感できる。

彼女は、痛みから自分の使命を知る。

歴史的に貶(おとし)められ、虐げられた女性の人間的回復を願う。

今もなお、その活動は続いている。





人生は完璧ではない。

突発的な不幸に巻き込まれることもある。

大切なのは、そこから何を学ぶか、それを糧に、これからの人生にどう生かしていくか、なのだ。

精神的に絶望して、自堕落になってしまっては、もったいない。

人生を無駄にしてはいけない。

自分の生きる意味、使命を知るチャンスなのだから。





最後に、彼女は、次のように述べている。


「私の人生は、万丈とまでは行かないけれど波瀾に満ちた方だ・・・・

波瀾とは、人生の浮き沈みの激しかったということであり、大体において不幸を意味する。

わたしも、波乱が多かった分だけ不幸だったのだろうか。

しかし、その不幸に拉(ひし)がれ終わるのではなく、それに学んで日向的に生きようと決意し、いささかながら、そのように歩めたことは、幸せであったと言わなければならないだろう。

そして、そのように思いつつ、いま、わたしは、風にそよぐ庭前の草木の葉叢に眼を預け、胸に一種平安の心の少しずつ沸き満ちて来るのを感じているのである。」

―山崎朋子―







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ブックカフェ
ひとり時間の王道といえば、やっぱり『読書』。
短時間で、気持ちがリフレッシュし、やる気が起こる道具です。
自分の世界を広げるミラクルツールなのです。

どんな環境が、一番読書に適していると思いますか。
私は、部屋のなかで読むのは苦手です。
お勉強も部屋や図書館でするのは苦手でした。
なんか集中できないのです。
むしろ、バックミュージックがかかっているコーヒーショップ、
喫茶店や電車の中のほうが、本のなかに入り込みます。

そのニーズやウォンツを満たしてくれるのが、ブックカフェ。
最近は、都心を中心に定着しつつあります。
コーヒーの香りをかぎながら、お気に入りの本を読む。


ブックカフェの利点は、
女ひとりで入ることに抵抗をもたらさない。
気兼ねなく、ひとりの時間と空間をひとり占めできます。


お酒を飲めるお店も登場しており、会社帰りや買い物の帰りなどなど、疲れを癒すスポットとしては最高ですね。





東京ブックストア&ブックカフェ案内


「東京ブックストア&ブックカフェ案内」

交通新聞社第1出版事業部 (編さん) 単行本 (2003/12) 交通新聞社



ブックカフェものがたり―本とコーヒーのある店づくり

ブックカフェものがたり―本とコーヒーのある店づくり
矢部 智子 (著), 今井 京助 (著)(2005/12)幻戯書房




少しずつブックカフェを紹介していきますね。



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おひとりさま
いま、「おひとりさま」ブームです。


たとえ休みの日でも、誰かと一緒だと、時間、お金、都合、行きたい場所、やりたい事など、どこかで譲歩しなければならない。

しかも、和を乱さぬようにと、いらぬ気まで使ってしまう。


これでは、くつろげない。


時間を自分のために使いたい。
自分をリセットしたい。
ゆっくりくつろぎたい。
自分を磨きたい、向上させたい。


その目的は多様であろうが、いま「ひとり時間の楽しみかた」が提唱されてきている。





NHKの「ものしり一夜づけ」でも、“おひとりさまススメ”特集をしていた。

バーで飲む。座禅。アイデアを練るなどなど。

そのなかで、「おひとりさま講座」というのがあって、

女性ひとりがバーで飲むための第三関門が紹介されていた。


第一関門:店選び
      店の中が覗けるところ。客層・雰囲気を確認するため。

第二関門:注文
      自分の好みをはっきり伝える。
      次から好みを覚えてもらうため。
      それが次回からの居心地のよさにつながる。


第三関門:間のもたせかた。
      デジカメを用意し、お洒落なカクテルを写す。
      メモ帳を用意し、夢ややりたいことを書く。



注意点ある。

酔うスピードを落とすために、必ず水をお酒と交互に飲む。

男性から声をかけられても、スキをみせない。

たとえば、自分の好きなものを言わないようにする。

携帯電話の番号を聞かれても上品に断るなど

の対処法が紹介される。



カフェやなんかに、ひとりで行くのは抵抗がない。

バーとなると、しかもカウンターに座るとなると、躊躇してしまうかも。

間のもたせかたは難しい。

あんな薄暗い場所で文庫本を読むわけにはいかないし。

デジカメでカクテルを撮るっていうのも、ちょっと・・・。

メモに夢を書く?

落ち着いてられないので、夢を思い描くなんて無理無理。





粋な会話なんかできると心強いなあ。





今後の私の課題です。


みなさんは、どうやって間を持たせていますか。







*関連サイト(一人旅・ひとり旅)


    【海外旅行】

  • 海外ひとり旅ツアー

    視野を広げたい、日頃の疲れを癒したい。非日常の世界に身を置いて、自分を解放させたい。誰にも干渉されず、気を遣わずに、気ままに気楽に、一人旅をしたいアナタのために、一人旅の海外旅行プラン&ツアーを企画している旅行会社のサイトを集めました。



    【国内旅行】

  • おひとりさま・ひとり旅&一人旅プラン
    (温泉・リゾートホテル編)


    海外旅行まではちょっと難しいかな?予算もきついかな?でも、せっかくの連休。温泉・露天風呂に入りながら、美味しい料理を食べて、美味しいお水を飲んで、美味しい空気を吸いたい。おひとりさまOKの旅館やリゾートホテルを特集しているサイトを集めました。参考にしてくださいね。


  • おひとりさま・ひとり&一人泊るホテル
    (高級・シティホテル編)


    高級ホテルで、夜景を見ながら、エステ&マッサージを受けながら、スパ&フィットネスクラブ&プールで気持ちの良い汗を流しながら、ちょっとリッチなディナーやランチを食べながら、優雅に過ごしてみたい。ホテルの「おひとりさまプラン」を集めました。(現在、作成中です。少しずつ追加していきますので、時々のぞいてくださいね。)





実践!おひとりさま道
実践!おひとりさま道
葉石 かおり /ライブドアパブリッシング (2005/09/29)


カッコイイ女は「おひとりさま」上手
カッコイイ女は「おひとりさま」上手
葉石 かおり (著) 単行本 (2004/10/19) PHP研究所



男が知らない「おひとりさま」マーケット―最強のリピーター&クチコミニスト 
男が知らない「おひとりさま」マーケット
―最強のリピーター&クチコミニスト

牛窪 恵 (著), おひとりさま向上委員会 (著)
単行本 (2004/04) 日本経済新聞社



おひとりさま 
おひとりさま
岩下 久美子 (著) 単行本 (2001/09) 中央公論新社




ninnki ←よろしくお願いします。

ワリス・ディリー(スーパーモデル)

ほんの少しいいことが起きるまでに、あとどのくらい待たなければならないのだろう?

こうした絶望的な状況に、まだあとどれほど耐えなければならないのだろう?

わたしは自分の行く先に、なにかいいことが待っているに違いないと信じていた。

その希望をつなぎながら、がんばってきたのだ。

なにかすばらしいチャンスが訪れることは確信していたから、毎日、自分に問いかけていた。

チャンスはいつ訪れるのだろう?

今日だろうか、明日だろうか?

どこへ行ったら、チャンスに出会えるのかしら?

なにをしたら、いいのかしら?

ワリス・ディリー―







ワリスは、アフリカ大陸の東端に位置するソマリアで、砂漠を移動しながら暮らす遊牧民の一家に生まれる。

幼い頃から、数十頭の山羊や羊の群れを任され、水場につれて行ったり、乳搾りしたりして、家族を助けてきた。





5歳のとき、割礼を受けさせられる。

ソマリアでは割礼を施さない女は結婚できない。

ソマリアでは、女の子は二本の脚のあいだに悪いものをつけて生まれてくると言われている。

それらは不浄だから、取り除かなければならない。

取りのぞくべきものは、クリトリス、小陰部、それに大陰部の大部分だ。

それらを切り取ったあとは、糸で固く縫ってしまうから、性器のあったところには傷口が残るだけになる。

だが、そうした具体的な割礼の内容は、少女たちには知らされない。

だから、ソマリアの少女たちは、女になる通過点として、楽しみにしていた。

ワリスもまた、その日を待ち望んでいた。





早朝、ワリス低木の茂みの中に連れていかれる。

ジプシーの老婆は、欠けたカミソリの刃を取り出し、それに唾を吐き、それをドレスでこする。

そして、切れ味のよくないカミソリが、のこぎりでも引くように、肉を切り取っていく。

ワリスは激烈な痛みを感じる。

脚が震え出し、失神した。

ジプシーはアカシアの木の刺(とげ)で、皮膚に穴を開けはじめる。

それから、白い糸をそこに通す。





母と姉が来て、木陰に引きずっていく。

その木陰に2人は簡単な小屋を組み立てた。

傷が治るまでの2、3週間小屋に隔離されれた。

排尿のたびに激痛が走った。

何日か小屋で寝ているうちに、傷口が化膿した。

高熱が出て、意識が朦朧とする。

傷口が癒えるまで1ヶ月以上要した。





アフリカでは少なくとも28カ国、オーストラリア、ニュージーランド、
カナダ、ヨーロッパ、アジア、中近東のアメリカ系移民の間でも行われている。

アフリカだけでも、現在、1億3千万以上の女性たちが割礼を受けている。


毎年約2百万人、毎日約6千人の少女たちが、この慣習を受けている。





ワリスは幸運なほうである。

性器を切除された結果、出血多量やショック、感染症、破傷風などで死んでしまう女の子も多い。

無事に生き残っているほうがはるかに不思議なのである。

生き残ったとしても、元気な体ではいられない。

女性たちはさまざまな後遺症に苦しむ。

排尿困難、月経困難、泌尿器の炎症、精神障害などを背負わされる。

一生痛みに耐えながら暮らすことになる。





ワリスもまた、ロンドンで縫合部分を開ける手術を受けるまで、苦しみ続けた。

排尿・月経による激痛に何度も気絶した。

精神的苦痛は、生涯続く。





ワリスは13歳になったとき、60歳をすぎた老人との結婚が決められる。

花嫁の代償はラクダ5頭。

それに背けば殴られ蹴られるなどの暴力を受ける。

女は一家を安泰させるための道具、労働力にしかすぎない。

割礼も娘を結婚市場で高く売るための、身勝手な男たちが作り出した悪しき習慣なのだ。





ワリスは、母の力を借りて、逃げ出した。

ソマリアの首都モガディシュに住んでいる母の妹のところを目指す。

裸足のまま、大きなスカーフを1枚、体に巻きつけて、砂漠の闇に向かって駆け出した。

何日も走り続けた。足からは血が流れ、空腹と渇きと痛みを感じる。

ライオンに遭遇し、ラクダの飼い主にはムチで打たれ、男たちに襲われかけた。





やっとの思いで、モガディシュに到着する。

父から連れ戻されないように、親戚を転々とした。

子守り、炊事洗濯なんでもした。





ワリスは、母のことが気がかりでならなかった。

自分が居なくなってから、母の労働は増えるばかりだろう。

母を助けたかった。

ワリスは、建設現場で働き始めた。過酷な労働だった。

1ヶ月間、頑張りぬいた。そして、60ドル相当のお金を稼いだ。

そして、送金する。





数ヵ月後、ワリスが叔母の家で掃除をしていると、駐英ソマリア大使がやってきた。

彼は、母の妹の夫である。

イギリスでの4年間の任期のあいだ、ロンドンの家で働いてくれるメイドを探すために、モガディシュに訪れていた。

即座にこれだと思った。待ち続けていたチャンスだ。

何をどうすればいいのか、全然わからなかった。

それでも、ワリスはメイドになりたいと懇願する。





ワリスは、ロンドンに向かう。

彼女は、ただの1日の休みもなく、メイドとして4年間働いた。





ロンドンに住みはじめて2年がたった頃、大使の幼い娘を学校まで送り迎えするという仕事が加わる。



そんなある日、髪をポニーテールにしている40歳くらいの白人の男が話しかけてくる。

英語だったから、何を言われたのかわからなかった。

同じことが繰り返される。



その男は叔母のところへやってきて、ワリスの写真をとりたいと持ちかけたが、話は流れた。

それ以来、話しかけてこなくなったが、いきなり近づいてきて名刺を差し出した。

ワリスは、ポルノ写真に違いないと不快感を示したが、その名刺をポケットにしまう。





4年間の駐英ソマリア大使の任期が終わり、故国に帰ることになった。

母に家を建ててあげたい、家があれば、母はもうあんな重労働をしなくてもいい。

年中移動してまわる必要もない。

通貨価値の違いを考えれば、ソマリアでは数千ドルもあれば家が買える。

この夢をかなえようと思ったら、イギリスにいたかった。

帰国の日、ワリスはパスポートを失くしたと嘘をつく。

仕事も、就労許可もない。

英語も話せない、読めない、書けない。

なんの当てもない。

それでも、イギリスに残った。





メイドの給金で貯めた僅かなお金で、しばらくは暮らさなければならない。

ロンドンで暮らすためにそれなりの洋服も必要だろうと思いデパートに向かう。

そこで、ソマリア人と思われる女性を見かけ、ソマリ語で話しかけてみた。

そして、自分の事情を話した。





彼女の紹介で、YMCAに部屋を借り、暮らしはじめた。

隣にあるマクドナルドの皿洗いと台所掃除の仕事にありつく。

外国人のための、無料語学教室にも通いはじめる。





ある午後、マクドナルドの仕事を終え、表側の出入り口から出ていこうとしていたとき、あのポニーテールの男と出くわす。

少し話をしただけで別れた。

気になり、名刺の連絡先に電話をかけ、翌日、彼のスタジオを訪ねる。

彼はワリスの横顔を撮りたくて、2年間もワリスを追いかけていたのだ。





写真を撮ってから、2ヶ月後、彼の写真集を見たモデル・エージェンシーからのオファーがあり、プルリのカレンダーのオーデションを受けた。

採用される。

カメラマンは、ダイアナ妃、王族、ヴォーグやエルなどの写真を撮っているテレンス・ドノヴァン。

ワリスの写真が表紙に決まる。

その後、ワリスは、007シリーズのボンドガールに選ばれる。





だが、モデルの仕事は、突然、なくなってしまう。

マクドナルドの仕事は辞めていた。

ロンドンでは黒人モデルの仕事は少なく、自立できるほどの収入は得られない。

ニューヨークから新人を探しにきたというエージェントに会う。

ニューヨークはモデルにとっては最大の市場で、特に黒人モデルの仕事はたくさんあるので、来ないかという。





ワリスのビザは切れ、不法就労者にすぎない。

パスポートを作ることができない。

彼女は、友人の兄と偽装結婚をした。





1年後、ワリスは1人でアメリカに渡った。

ワリスは、スターダムを駆け上がり、「スーパーモデル」という存在になっていく。

シンディ・クロフォード、ナオミ・キャンベル、クローディア・シファー、ローレン・ハットンとも仕事をした。

エル、ヴォーグにも頻繁に登場するようになる。

ミラノ、パリ、ロンドン、ニューヨークとショーに立った。

一流の人たちに囲まれた。


ワリスの成功への道のりが、BBCのドキュメンタリー番組で制作される。





ニューヨークのジャズバーで、最愛の夫となるデイナと出会う。

それまでのワリスは、割礼が原因となり、恋ができなかった。

自分の秘密を知られるのが怖かった。

自分の恐ろしい姿を見せるのが怖かった。

傷つきたくなかった。

だから、男の人が、彼女に関心をもったのがわかると、すぐに逃げ出した。

そんなワリスが、生まれてはじめて男の人を手に入れたいと思った。

理由はわからないが、デイナのことはずっと昔から知っているような気がした。

6ヶ月後、結婚しようと決めた。一年後、妊娠する。

そして、息子アレエケを出産。

イギリスに住む形式上の夫が、ワリスとの離婚を認めないため、デイリとは形式的には夫婦にはなれなかったが、公私ともに幸せを手に入れる。








≪これまでわたし人生は、いつもまったくの偶然から、さまざまに展開してきた。

まったくの偶然?いや、本当は偶然ではないのだろう。

人生には偶然以上のなにかがあるはずだから。

昔、家を飛び出したとき、神は砂漠でわたしをライオンから救った。

そのときわたしは、神にはわたしをいかしておく理由があるのだろう
と思った。

そして理由があるなら、それはなんだろうと思った。≫






<マリー・クレー>誌のインタビューで、女子割礼の話をした。

このインタビューは「女子割礼の悲劇」と題され、雑誌に掲載されるや大反響を呼ぶ。

さまざまな団体から講演要請がきた。

テレビの特別番組がつくられ、ワリスは国連の特別大使に任命される。

いまはモデルの仕事を続けながら、FGM(女性性器切除)の廃絶に向けて活動している。



砂漠の女ディリー 
「砂漠の女ディリー」
ワリス ディリー (著),武者 圭子(翻訳)
単行本 (1999/10) 草思社



ディリー、砂漠に帰る 
「ディリー、砂漠に帰る」
ワリス デリィー (著), 武者 圭子 (翻訳)
単行本 (2003/11/26) 草思社







ワリスは、一歩一歩、懸命に生きてきた。

どんなときも、明るく前向きだった。

逆境におかれても、自分を信じて頑張り続けた。

試練があっても、屈せず明日になればきっと道は開けるからと、

自分に言い聞かせて生きてきた。



運命を呪ったり、悲しみにうつむいていたら、

幸運は掴めなかったと思う。

おそらく幸運どころかチャンスの到来さえ気づかなかっただろう。



チャンスの到来を信じている人だけが、チャンスを掴むことができる。

そして、自分を信じている人だけが、そのチャンスを生かすことができる。

そして、次のチャンスを呼び寄せることができる。


少なくとも、るるは、そう信じている。





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竹内てるよ(詩人)

町をうたってとおる子供の声がきこえると、

病床の私のからだは突然あつくなり、こみ上げてくる咳に苦しみながら、唇から血液があふれて来る。

そしてその上にあつい涙がしたたりおちるのでありました・・・私の亡き子徹也よ。

こうした25年を経て、あなたにめぐり逢った名古屋の拘置所、そのコンクリートの塀にはつめたい雨が降っていて、なつかしさにその塀をさわる母わたくしの指先をつめたくしました。

疲れるとすぐ氷のようになる、心臓に病気のあるわたしの手をいちどもあたためてくれる日もなくて、あなたは34歳で今生を終り、漸く病をよくした私をただ一人はっきりと、たしかに現世に残しました。

―竹内てるよ―







1904年北海道札幌市に生れる。

父は銀行員。母は18歳の半玉だったが、結婚を反対され、石狩川で投身自殺をする。

その後、判事である祖父母に引き取られて育つ。

幼い頃から病弱で、6歳になるまで歩行もできない子供だった。

一家で東京に出るが、結核にかかり、女学校を卒業間近で中退する。



療養生活は1年続いく。その後、再度の学校生活をあきらめ働く。

「婦人公論」の二十周年記念号に小説が入選したのをきっかけにして、それから三年間の婦人記者生活に入る。





父は、女を次から次ととりかえて、生活は定まらず、借金をつくり、
祖父の財産を使い果たすようになる。

てるよ一家は次第に貧しくなっていく。

20歳のとき、父親の借金相手との縁談がもちあがり、老年の祖父母の生活を守るため、結婚する。

まもなく祖父母も他界。





妊娠。医者の反対を押し切り、生死をさまよいながら、男の子を出産。

出産が原因で、脊椎カリエスとなり、全く動くことのできない重症患者となる。

子供は、顔も見ないうちに里子に出されてしまう。



≪子供がつれて行かれた方角に顔を向けて寝てますと、涙は流れて耳に入りました。

せめて子供の泣き声でも聞こえはしないかとじっと耳をすませて、胸の鳴る音を聞きながら考えました。

この先何年生きられよう。≫







2年目のある嵐の日、一匹の小猫がてるよの部屋に飛び込んでくる。



≪今ここに世界中から見棄てられた病気の女がいる、『いかがですか』とたずねてくれる人もない。

そんな女のわずかにかわいている背中で息を休めている小猫がいる。

命とはこういうものではあるまいかと感じたとき、私は、もう一度、生きてみようと思いはじめました。

このままここに寝ていたのではいずれ終わってしまうだろう・・・

生きるためには、この家を出て、再生をしなければならない。≫







てるよは、顔見知りの炭屋のおじさんをつかまえ、ギブスをのこぎりで切ってもらう。

それから毎日、歩くためのトレーニングをはじめる。

半年後、やっと杖にすがって立てるようになり、一歩ずつ歩けるようになる。





25歳の冬、子供と一目会うことを条件に、離婚を申し出る。


「許してね、どうか許してね、どうしても、別れてゆかなければならない、そのかわり、いのち永らえて、きっと再会の日をつくるから、元気で大きくなってくださいね」





半町位歩いて、呼吸困難に陥り、土手の土の上に倒れる。

疲れと、悲しみが熱をさそい、激しく咳が出て止まらず、血がしずくをして唇に溢れてくる。

涙と共に土にしみ込んでいく。



≪生きたい、再生したい、ふたたびわが子に逢う日まで、がんばりたい。≫




唇の血液をふきとり、上半身を起こして、歩き出した。

そして、かつて若き日、文筆を志したころの友人の家にたどりつく。

高村光太郎に師事する。



病院で、肺と脊椎の病気のため、10年は寝ていなければならないと診断されながらも、ギブスのかかった胸の上に、一枚の板を立てて、その板に原稿用紙をはり、鉛筆で詩を書いた。



「生命の歌(詩文集)」がベストセラーとなる。

生活も次第に楽になり、弟子にもめぐまれ、詩人として、多忙な日々を送る。





50歳を迎えた年の暮れ、家に帰ると、二人の男が待っていた。


「・・・木村徹也という人を知っていますか?」

「それは、私の子供です・・・いまどこに?」

「名古屋の拘置所です」

「どうして?何の罪で」

「お気の毒ですけれど、やくざです。傷害で三年間の刑です」


からだがくずれていく。熱い涙があふれてきた。





名古屋拘置所で25年ぶりの再会をする。

徹也は27歳になっていた。


「許してね。

ほんとうに許してね、私が、あなたと別れることになったので、それで、あなたはこんなことになったのね。

ほんとうに許してください。許してください。」





徹也の出所を待ち続けた。

1年半後、町営住宅で2人は暮らし始める。

徹也は、てるこの友人の紹介で、建設会社で働きはじめる。

やっと掴んだ親子の幸せだった。





だが、徹也は、てるよを捨てて、家を出奔する。

昔の仲間とつるんで、会社の資材を一切持ち去り行方をくらました。



徹也はあらゆる顔見知りから借金をしていた。

18歳の娘を、誘惑し妊娠させ、捨てた。

その娘は半狂乱になっている。


「ほんとうに、ご迷惑をかけまして申しわけありません。

どうか許してください」


てるよは、泥と雨とでびしょぬれになりながら、次から次へとまわった。

雨にぬれた渡り板の上に、ひざをついて泣きながら、自分の甘さというものをはっきりと感じた。



≪そうよ、ほんとにそうよ、私はあなたのために何一つしてはいない。

ただの一度も、おしめ一枚、かえてやれなかった。

それで、愛情だけで、愛情だけで何とかと考えたことのその甘さ、観念にすぎなかった・・・・・母の愛とは何よ。

一体何よ、お前のいうのは観念ではないか、一体お前は、あの子のために何をしたのだ?何を?≫






徹也の持ち逃げの後片づけのため、物質的にも苦しい生活が続いた。

女詩人の収入などたかの知れたものだった。

健康もなく外に働きにいくこともできない。

電気料金が払えない、お米が買えない日もあった。

講演会を依頼されても、はいて行く草履もない。





どん底の生活のなか、知友から「能」の切符をもらう。

静御前の生きざまに心打たれる。



≪子供が親を捨てて行ったからといって、こんなにがっかりして、こんなに迷ってよいものであろうか・・一度の失敗でくじけてはならない。

二度失敗したら今一度、三度逃げられたら四度追いかけて、きっとあの子を真人間にするまで、どんなに辛抱をしてでも、苦労しなければならない。≫





徹也の消息を聞いては、病気の体をおして、探しにでかけた。





一通の手紙が届く。徹也は横浜刑務所にいた。

てるよが面会室に入っていくと、徹也はぼろぼろと涙をこぼした。



てるよは、徹也の仮出所の日を待ち続けた。





「ただいま」

徹也は帰ってくる。



「おまつりへ行ってみようか?」

徹也はうれしそうにうなずいて、立ち上がった。

二人はつれ立って夜の町へ出た。

30歳をすぎた息子と50歳半ばの母親。


「何か欲しいものがあったら買ってあげる」

「わた菓子がいい」



「早く働きたいよ。少しでも楽になるでしょう」

「貧乏にはなれているのよ・・・なにしろ東京にいるときは、質屋さんとなかよしで・・・」


二人の話は、果てしなく続いた。





二ヶ月後、徹也は癌と宣告される。もってあと半月か1ヶ月。



≪母親が結核を病んで、生き別れて、戦争を経験してヤクザとなり、前後6年の刑務所暮らし、そして今癌でとられるのだ。

34歳、男ざかりの年にして・・・これから、これからだというのに・・・。≫




「どうぞ、あの子をお助けください」





てるよは、少しずつ冷たくなってゆく手を握った。

徹也は、口許に微笑みをうかべたまま、静かに、息を引きとる。





その後、てるよは幾たびかの入院生活を送る。

入院生活の間に、たびたびのS・O・Sがあった。

命をとりとめて、61歳を迎えた。



≪この日は寒い凍るような日でした。

今日、私は、本掛がえりなのだと思ったのです。

世の常の生活をしていたなら、誰かが覚えてくれて、そして赤い帽子などで祝ってくれるものでしょう。

誰一人として私が、今日、たった一人の病室でこの日を迎えることを知りません。

そう思ったとき、私はほんとうの孤独を感じました。

自分という人間は、誰にも知られていない、そして誰も、自分を必要としていない、と思ったとき、私は今生で何かをなさねばならないと思いました。

もし、残生というものがあるならば、それをしっかりと生きてみようと思いました。

文学という個人の問題を出でて、多くの人々と共にあるためには、共に生きるためには、私はどう生きたらよいのであろうかと考えました

・・・打ち捨てられた61歳、それをふたたび、三度び、生かすために、

私は人間の不幸と本気でとりくんでゆこうと決心をいたしました。≫







翌年退院し、「永遠と人生」を再刊。人々の身の上相談をはじめる。





平成13年(2001)2月4日、老衰で死去。享年96歳。



海のオルゴール―子にささげる愛と詩 
「海のオルゴール―子にささげる愛と詩」
竹内 てるよ (著) 単行本 (2002/10) 家の光協会



静かなる夜明け―竹内てるよ詩文集
「静かなる夜明け―竹内てるよ詩文集」
竹内 てるよ (著) 単行本 (2003/06) 月曜社



いのち新し―魂の詩人・竹内てるよの遺作 
「いのち新し―魂の詩人・竹内てるよの遺作」
竹内 てるよ (著) 単行本 (2003/03) たま出版





竹内てるよの名は、

美智子皇后が、

スイスで開かれた国際児童図書評議会記念大会で、「頬」を「生涯忘れられない詩」として、引用されたことにより、脚光を浴びることになる。

過去2回にわたり、ドラマ化もされた。



60歳を過ぎてからの再生。

人生は、いくつになっても、どんな状況からも再生できる。

どんな小さな経験からでも、貪欲に食らいついて、消化しつくし、生かしていきたい。

なんか闘志に燃えているかもよぉ~!!o(≧∇≦o)(o≧∇≦)o





最後に「詩集 花よわれらは」から、


<頬>

生れて何も知らぬ 吾子の頬に

母よ 絶望の涙をおとすな



その頬は赤く小さく

今はただ一つのはたんきやうにすぎなくとも

いつ人類のための戦ひに

燃えて輝かないといふことがあらう



生れて何もしらぬ 吾子の頬に

母よ 悲しみの涙をおとすな



ねむりの中に

静かなるまつげのかげをおとして

今はただ 白絹のやうにやはらかくとも

いつ正義のためのたたかひに

決然とゆがまないといふことがあらう



ただ 自らのよわさといくじなさのために

生れて何も知らぬわが子の頬に

母よ 絶望の涙をおとすな







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