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三橋節子(画家)
mihasi


↑感じの絵、みたことありますか。

はじめてみたとき、ギョッとしました。
色彩が暗いし、なんだか気味が悪い。


ある日、友人の家で、1冊の本に目が留まる。
どこかで、聞いたことがある名前。
ペラペラとめくる。
彼女の絵に対する見方が変わりました。



三橋節子。





1939年3月3日、父三橋時雄(京都大学農学部教授)と母珠(たま)の長女として、京都に生まれる。

節子は、裕福な家庭で、温かい父母兄弟に囲まれて、何ひとつ不自由なく育つ。

高校卒業後、京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)の日本画科へ入学。

在学中より新制作展に入選し以後毎年出品。





29歳のとき、同じ日本画家である鈴木靖将と結婚。

3年後、長男草麻生(くさまお)、その翌年長女なずなが誕生する。





「神様のような夫」に、この上なく愛され、その夫との間に一男一女をもった妻、そして生活も、少しずつ画が売れ始めて、どうにか食べられるようになる。


彼女の生活は、公的にも、私的にも順調そのものであった。





その彼女の人生を、突然に病気が、画家としての何よりの武器である右手を奪い、生命すら危険にさらそうとする病気が襲う。

節子が33歳のとき、右鎖骨腫瘍のため右腕の切断を余儀なくされる。

右腕を切断したからとて、病気が完治したという保証はなかった。

絵を描くこともできなくなった。妻として、母としてやっていけるのか。

将来に対する明るい希望はなく、絶望的な思いで過ごす。





夫靖将の

「右手はなくても、俺の手と合わせて三本あるではないか」


という言葉に励まされる。





左手で鉛筆をとり上げ、左手で文字を書く練習をはじめる。

そして、六ヶ月はかかるという字の練習を、一ヶ月足らずで仕上げた。

絵筆もとりはじめ、半年後には、百号2点の絵を描いて再起した。


「絵は心で描くものだ。左手があれば十分だ」


と繰り返し自分に言い聞かせ、描き続けた。

従来の彼女の絵よりも、はるかに優れた作品を生み出していく。





mihasisetuko.mitui

「三井の晩鐘」

昔、龍王の娘が漁師と恋をし、赤ん坊を産んだ。

ある日、女は「実は私は琵琶湖の龍神の化身で、神様にお願いして人間にしてもらいましたが、もう湖に帰らねばなりません」と残し、湖へ沈んでいった。

母のない子は、乳ほしさにひいひい泣く。

すると女があらわれて乳をのませては、また沈んでいく。

子供に乳をやりたい。やらねばならぬ。

が、龍の社会の掟は守らねばならぬ。どうしても湖底からでるわけにはゆかない。

女は苦悩する。苦悩の末、女は自分の右の目玉をくりぬいて渡す。

泣く子にその目玉をなめさせてみると、不思議に泣きやむ。

が、やがて目玉をなめ尽くしてしまう。

女は、風の便りにそのことを知る。

もう一つの目玉をもって行ってやりたい。

しかし、この目玉をとどけたら、女は全く盲目になってしまう。

女は、思い悩む。

火のように泣き叫ぶ泣き声が聞こえてくる。

女は決心して、自らの目玉をくり抜いて、浜の夫のところへ届ける。

女は最後に一つだけ夫に頼む。

両方の目玉がないと方角が分からない、どうか毎晩子供を抱いて、三井寺の釣鐘をついて欲しい、釣鐘の音で、夫と子供の無事を確かめたいと女は頼む。


それから毎晩三井寺では晩鐘をつくようになる。

(「近江むかし話」より)




この盲目になった龍の女は、その後どう生きたのか。

人間と結婚し、人間の子を産んだ龍の女が、龍の世界で重んじられるはずもない。

生きとし生けるものの受ける苦しみを、この龍の女は受け、のたうつように湖の底で生き続けたのだろう。

何度、女は死んでしまいたいと思ったことか。

が、毎晩、かすかに湖の底に聞こえてくる鐘の音に夫と子の無事を喜んで、屍のような生を耐えたのではないだろうか。



節子は、この龍女に自分を重ねた。

盲目の龍女と右腕を失った自分。

いずれは子供たちを残して、旅立たなければならない自分を。



龍女は、形見に、自分の目玉を残す。

節子も、何か子供達に残してやりたいと思う。

彼女が残せるものは、絵だけである。

彼女が、病後の体に、渾身の情熱をふりしぼって左手で絵を描いたのは、こういう形見を残しておきたいという意志ゆえである。

そして、草麻生となずなのために一冊の童画を残す。





その年の暮れ、肺に白い影がみつかる。癌が肺に転移した。

左肺の腫瘍摘出を行うが、この時は手遅れであった。





病室で、5歳の草麻生君、3歳のなずなちゃんに葉書を書く。

【息子くさまおへの便り】

「くさまおくん、おげんきですか。おたんじょうびは、たくさんプレゼントもらって、たのしかったですね。
すぐこわしたりしないで、だいじにあそぶのですよ。
このごろはひとりで、ようちえんへいけるそうですね。もう5つのおにいちゃんですものね。
きょうは、たくさんゆきがふっていますね。どのくらいつもるかな。
また、ゆきだるまをつくったり、こうえんでソリができ、たのしみですね。
では、さようなら△またきてね□また病院にきてね、バイバイ」





【娘なずなへの便り】

「なずなちゃん、おげんきですか。きょうは、たくさんゆきがふっていますね。
“ゆきやこんこん あられやこんこん ♪♪・・・
なーなーはこたつでまるくなっているのか、おにわをかけまわるほうか、どっちかな。
おにいちゃんと、けんかをしないで、なかよくしていますか。
また、こうえんで、ソリにのりましたか。
おじいちゃん、おばあちゃんも、かぜをひかれたそうで、
みなさんに、ごめいわくかけ、すみません。よろしくね。
かあちゃんのかわりに、おばあちゃんのおてつだいしてあげてね。
じゃバイバイ、またきてね。」






この葉書が届くか届かないかの、昭和50年2月24日、節子は息をひきとる。

享年35歳。











今年の6月、幼なじみが亡くなった。

事故だった。

幼稚園に4歳の息子を送るため、信号を渡っていた。

スクールバスが、彼女たちのほうへ。

彼女は、とっさに子供をかばったのだ。



私は、その訃報を聞き、急いで、羽田から実家のある福岡へ向かった。



彼女は一人っ子だった。

誰よりも大切に育てられた。

その大切な娘を失った、年老いた、彼女の両親を見ることはできなかった。



彼女の息子は、右足にギブスをして、一人でポツンと、お行儀よく、椅子に座っている。

お通夜、お葬式の間中、涙をみせない。

皆に心配をかけるまいと、必死に涙をこらえていた。

まだ、4歳である。



こんな幼い子供を残して、旅立たなければならない、彼女の心を思うと、私は、涙をおさえることができない。



三橋節子美術館



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ニコル・カスティオーニ(娼婦から代議士へ)

誰も他人の人生を横取りしてはならないのです。

どんな人も自分と同じような心と体を

もっているということを、忘れてはいけないのです。

このことは誰に対しても言えることで、

例外ではありません。

―ニコル・カスティオーニ―







人生にはやり直しが効くのかもしれない。

彼女の人生を知ったとき、そう思った。





娼婦の大半が幼少時に性的虐待を受けている。



「女はそのあと、愛、好意、性、暴力を混同したまま

  不毛の人生を送る・・・・・踏みにじられた女の

  愛することも愛されることも知らない一生を送るのだ」






ニコルも例外ではない。

8歳のときそれが起きる。誰にも言えなかった。

両親は何も訊かず、何も言わず、

何も気づかないふりをしていた。

10歳で死にたいと思った。






18歳のとき、最初の結婚をする。

だが、彼はニコルを捨て、30歳の女のところに走った。


「私が悪いんだわ、彼のこと、しっかり世話しなかったから
  いけないんだわ・・・・太りすぎ、これが原因だ」。



愛を取り戻すため、2キロ、5キロ、10キロと
どんどんダイエットをした。

痩せるためになんでもした。

そのあげく拒食症になった。





ニコル・はなんとか悲恋を克服した。

モデル・女優を目指す。


パリで、本物の男ジャン・ミシェルと出会う。

モード界で働き、映画スターや実業家に顔がきき、高級外車、

高級レストラン、豪華別荘、超高速ボート。

ジュネーブ生まれの田舎娘には、

まるで雑誌のグラビアに出てくるような生活だった。

ニコルはジャン・ミシェルと暮らし始める。





ジャン・ミシェルは、コカイン中毒者だった。

ニコルは彼を失いたくなかった。

ニコルもコカインを始める。

あっというまに大量に吸引するようになり、

コカインなしではいられなくなった。

コカインには金がかかる。

次第に生活費も底をつくようになる。


ジャン・ミシェルは、彼の母親と友人たちとグルになり、

ニコルを娼婦にした。


ニコルは、ジルダと名を替え、サンドニ街の歩道にたつようになる。


ニコルの心は傷ついたが、

愛する人の心をつなぎ止めるために、心を手放した。

売上のほとんどは、ジャン・ミシェルのところに流れた。

コカインは、ジャン・ミシェルをより暴力的に変えた。

ニコルに向けて、2度ピストルの引金をひいた。





ニコルは「B型ウィルス肝炎」になる。

重苦しい疲労感が襲う。

だが、ジャン・ミシェルのコカインを買うためには、

1日5回のショートタイムをこなさなければならない。

黄色いシミが化粧を厚くする。

ジャン・ミシェルは、幻覚に襲われる。

殺してやる、と不意に彼女に飛びかかり、

めちゃくちゃに殴りつける。

青い痣(あざ)になる。

黄色いシミに、青痣(あざ)が加わる。





ニコルは泣きくずれた。


「彼が、戻ってきたら、また殴られる。

  彼が私を殺す。彼ならやるだろう。

  もう価値のない女だが、死にたくはない・・・・

  ひとりぼっちで誰にも看取られずに死にたくない。」





突然、ニコルのなかの動物的本能がよみがえった。


「もし、病気にならなかったら、
  私はきっと決心をしていなかっただろう。
  ひとつのチャンス。」



と自分に言い聞かせた。





癒えるか死ぬか、賭けた。





ジュネーブに戻る。



麻薬中毒治療センターに通う。

禁断症状に苦しむ。

手足が震え、苦痛、倦怠、痙攣、偏頭痛、下痢。



我慢をするか、死ぬか。

耐えて頑張るか、歩道にたつか。

2つに1つしかなかった。





ニコルは克服する。

正常な社会生活を求めるようになる。

職をみつけた。

ニコルは企業社会について何も知らなかった。

まったく経験がなかったのである。

実地で学んでいった。

必要とあらば、仕事に応じて、

夜学校に通い、知識を身につけていく。





ニコルは政治意識に目覚める。

いちばん底辺の<地べた>から始めた。

政治集会に参加し、目で政治家を見て、人々の話を聞いた。

スイス社会党に入党、町議会選挙に立候補し、当選。

その後、ジュネーブ州議会議員となる。





ニコルは、自分の過去をムダにしなかった。

人生の糧にしている。

ニコルはいま「人間の搾取に関するあらゆる問題」と闘っている。

売春での人間搾取や児童虐待などと。





ニコルは結婚、出産をした。

最後に、真実の男性と出会う。



代議士になったパリの娼婦

代議士になったパリの娼婦
ニコル カスティオーニ Nicole Castioni/ 奥 光宏 訳/草思社 (2002/02)






自分の人生に、本気でとりかかれば、

幸せは向こうからやってくるのかもしれない。

諦めてはいけない。

過去ではない、今がすべてなのだ。





最後にニコル・カスティオーニはこんな言葉を残している。


「私の人生は代議士になったから

成功したといえるのではなく、

非営利団体の会長になって大学で勉強できるようになったから、

成功したといえるのではなく、

ただたんに幸せだと感じることができるから、

成功したといえるのだ。」





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柳原白蓮(歌人)

いまの女性たちは、りこうに生きているようね。

結婚はもっと、純粋なものでしょうに。

愛に結ばれているかどうか。

何となし、結婚そのものが、ぼやけているようだ。

夫婦とも、ほかにひかれる者があったとしても、

そのまま、結婚をつづけてしまっている。

さいしょから平行線じゃあないか。

つまらない。

青春は、もっと潔癖なものさ。

真剣に生きていきたいと思うね。

―柳原白蓮―




柳原白蓮は、菊池寛の「真珠夫人」のモデルになった人です。

「真珠夫人」といえば、昼ドラで、横山めぐみがドロドロの愛憎劇を繰り広げていましたが、観てましたか?

今回は、柳原白蓮です。







柳原白蓮(本名あきこ)は、明治18年(1885年)伯爵柳原前光の妾の子として、東京に生まれる。

大正天皇の従姉妹にあたる血筋である。

あきこは、生後7日目に、実母から引き離され、柳原家の次女として籍に入る。

その日のうちに乳母に預けられるなど、人並みの愛情は得がたい環境だった。




9歳のとき、北小路家の養女にだされる。

15歳になったあきこは、思春期真っ盛りの、7歳年上の北小路家の息子資武の好色の前にさらされるようになる。

年老いた両親の目を盗んで、折あらば、あきこに迫ろうとする。

他にひとの気配がないときをねらって、襖(ふすま)をあけて入ってくる。

羽交締めにされ、畳の上に押し倒され、犯される。

「おれは、お前と、めおとになる。知らないのか。妾の子を貰ってやるのだぞ。生意気いうな。」


あきこは、はじめて知る出自に、打ちひしがれた。

いつ資武がおそってくるかもしれぬ日々が続く。

あきこの異変に気づいた北小路家は、むりやり、華族女学校を中退させ、北小路資武と祝言をあげさせた。

夫は、あきこを性を目的とするおもちゃのように扱った。

憎悪の果てのような男と女のまじわりを、5年も、あきこは耐え続けた。

16歳のとき、男児を出産するが、母親としての自覚は持てず、夫への嫌悪感ばかり強くなり、19歳のときに破婚、実家に戻る。




破婚のあきこは、家に入れてもらえず、幽閉に等しい生活を余儀なくされる。




明治44年(1911)、九州一の炭鉱王、伊藤伝右衛門と再婚し、福岡に移り住む。

あきこ27歳、伝右衛門52歳。

「金で買われた華族の女」と世間はいう。

結納金は、あきこの兄が貴族院議員に出馬するための、政治資金に流れた。

どこにも行く場所がない。生活の力さえあれば・・・・。

あきこは涙をこらえた。




あきこは、ことごとく伝右衛門に裏切られた。

外にも内にも妾を何人もかかえ、妾兼女中が、家の中をとりしきっている。

子供はひとりもいないと聞かされながら、誰が生んだかもわからない子供が何人もいた。

しかも、伝右衛門は、睾丸の手術をし、子種がない状態であった。

当然得られると考えていた子供という存在も否定された。

自分の生きがいを賭けようと思っていた女学校設立の夢も断ち切られた。




華族の娘と無学粗暴の夫。

生まれも育ちも違いすぎる二人。

愛のない結婚生活。




歓びを得ることの出来ない毎夜の性が、あきこに肉体的苦痛をもたらす。

あきこはまるで自分は娼婦のようだと思う。娼婦と同じ行為。

それならば今、自分が課せられている行為を娼婦が代わってしてもいいことではないか。

あきこは、若い妾を伝右衛門にあてがう。

枕を三つ並べて寝る。同じ寝所で、夫が妾を抱く。

あきこが自ら招きよせた地獄である。




その悲惨な環境から逃れるためか、いつしか、あきこは短歌の世界に深く傾倒しはじめるようになっていく。

短歌のなかで、気ままに恋し、姦淫する自由をもとめた。

佐々木信綱の門下生となり、白蓮として頭角を現していく。




あきこは、大正8年(1919)、戯曲「指鬘外道(しまんげどう)」を発表する。

ある日、その上演依頼のために、宮崎龍介が訪れる。

運命的な出会いであった。

彼は、東大帝大法学部の学生であり、あきこよりも7歳年下の男。

二人は、間もなく書簡を取り交わすようになる。

上京の折に逢瀬を重ね、大正10年の真夏の京都で、はじめて身体の関係を結んだ。

あきこが、36歳にして、はじめて自ら望み、身も心も投げ入れて漂った官能の世界。




ある日、あきこはつきあげるような吐き気に襲われる。

龍介の子を宿したことに気づく。

知らせてはいけない。

龍介は今秋、大学を卒業したばかりの若い男なのだ。

彼には未来というものが溢れるほどある。

妊娠により龍介がどういう態度をとるか、そのことを知るのが怖い。

おそらく龍介は子供をはらんだことを喜ばないだろう。

困惑のあまり青ざめるような気がする。

あきこは龍介のそんな表情をみるくらいなら死んでしまいたいとさえ思う。

そして、あきこは、龍介に告げぬまま、ひとり中絶する。




龍介はいう。

「きっといつか二人で暮らせるようにする。
自分は決していい加減な気持ちであなたを愛しているのではない。」


この言葉をかわしているのはあきこだった。

龍介を愛しているのは何ひとつ疑うことのない真実である。

が、その未来を引き受ける勇気があきこにはない。

男の若さが怖い、心変わりが怖い。

自分は、もう36歳だ。

そこから、這い上がる力などもうありはしない。




そんななか、龍介の肺に影が見つかる。

龍介の死がちらつく。

あきこは、居ても立ってもいられなくなる。


「生きましょう。二人で一緒に・・・逃げましょう。
あなたの元へ逃げます。
こんなに長いこと愚図愚図していて、私が本当に馬鹿でしたわ。
もう後戻りはできないもの。私はあなたと逃げます。」



あきこは、再び龍介の子を宿す。

二人の前に姦通罪という壁が立ちふさがる。

龍介の友人たちで出は計画がねられ、あきこ、10年間生活をした伊藤家を出奔、龍介と駆け落ちする。




二日後、

「私は金力をもって女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の訣別を告げます」

という公開絶縁状を朝日新聞に掲載する。

伊藤は、毎日新聞に反論を載せ、世論は非常に沸いた。

これが世にいう「白蓮事件」である。




あきこは、華族からの除籍と財産没収により、離婚を勝ち得る。

だが、世間体を重んじる柳原家は、あきこを龍介から引き離し、監禁状態に置いた。

世間の非難も相俟って、何とかして二人を添えさせまいとする処置が次々に打たれてしまう。

そんななか、あきこは、男児香織を出産する。




大正12年(1923)関東大震災が起こる。

柳原家の関係で、あきこと香織が預けられていた中野家も焼けてしまう。

これを聞きつけた龍介は、あきこらを迎えにいき、柳原家もあきこらを返すということで、ようやく、あきこと龍介は一緒に暮らすようになった。




婚姻届を提出したのは大正14年、二人が歴史に残る恋の逃避行をしてから、4年の歳月が流れていた。

その年、長女蕗苳子(ふきこ)が誕生する。




幸せな生活がはじまったのも束の間、龍介は結核を患って、病身の身になってしまう。

これまでの生活とは一転貧しい生活を送らざるを得なくなる。

文筆活動で一家の生計を支える。生活のために物を書く。

ぎりぎりの生活が、あきこの一身にかかっていた。

病床の龍介にかわって、政治活動に協力した。

戦争で、香織を亡くすも、これを機に平和運動に参加し、世界連邦婦人部の中心となり活躍する。

生活の力さへあれば・・・と嘆いていたあきこが、変わった。

自分の足で歩き始めたのである。

貧しい労働者を隣人として生きるようになったのである。




昭和34年脳貧血で倒れ、2年後緑内障で両眼とも失明し、龍介に支えられて生きる日を重ねた。

昭和42年(1967)享年81歳でこの世を去る。




あきこの死後、龍介は語る。

「私のところに来てどれだけ私が幸せにしてやれたか、

それほど自信があるわけではありませんが、

少なくとも私は伊藤家や柳原の人々よりは、

あきこの個性を理解し援助してやることができたと思っております。

波乱に富んだ風雪の前半生をくぐり抜け、

最後は私のところに心やすらかな場所を見つけたのだと思います。」




白蓮れんれん
白蓮れんれん
林 真理子/中央公論社 (1998/10)


恋する罪びと
恋する罪びと
田辺 聖子/PHP研究所 (2003/07)


夫と妻のきずな〈上〉激動の昭和を生きた夫婦の記録
中島 力/国書刊行会 (2003/07)


恋の華・白蓮事件
永畑 道子/新評論 (1982/11)


恋ひ歌―宮崎龍介と柳原白蓮
斉藤 憐/而立書房 (2003/05)










私の友人の夫は、何棟ものビルを所有し、彼女は、経済的にも、何の不自由もない。

彼女は、子宝にも3人めぐまれ、夫の両親とも上手くいっていた。

誰もがうらやましがるような幸福を手に入れていた。




が、彼女が41歳になったとき、25歳の板前と駆け落ちした。




2年後のある日、「るるちゃん、るるちゃん」という声が・・・・・。

彼女だった。最初誰だかわからなかった。

るる「何してるんですか?
    こんなところで、あれから大騒ぎでしたよ。」

彼女「すぐそこのマックで、アルバイトしてるの?」

るる「え、マック?・・・・・・・。」

彼女「彼と店を持つのが夢なの」

るる「・・・・・・・・・・・」

彼女「生まれてきて、今が一番幸せよ。るるちゃんも、
    私ぐらいの年齢になればわかるわよ」




彼女のしたことは、決して褒められたことではない。

家族を捨てた。3人の子どもたちを捨てたのだから。




でも、輝いている。

あんなに輝いている彼女を見たことはない。

20代にしかみえない。既に40歳を超えている。

短パン、Tシャツ姿でも、全く違和感がない。

キレイなのだ。内面から溢れでる美しさで輝いている。

何が、彼女をあそこまで変えたのだろうか。

世間が良しとする価値観は、生を真剣に生きぬくことと、相反するのかもしれない。

彼女の輝きが、それを物語っている。



私は、まだ、当時の彼女の年齢にも達していない。

だから、わからない。

だが、私が、彼女と同じ立場に立ったとき、どうするだろうか。

家族を捨ててまで、子供を捨ててまで、自分の人生を生きることを選択するだろうか。


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マタ・ハリ(踊り子・スパイ)

・・・・現在、私のまわりでは、何もかもだめになろうとしており、誰も彼も背を向けています。

その人のためなら火の中もくぐる思いだった人までも。

人間は臆病なものだということを、こんなにもしみじみ思ったことがあったでしょうか・・

私はひとりぼっちです。

ひとりわが身を弁護することにします・・・・・・

―マタ・ハリ―







マグレータ・ヘルトロイダ・ツェレ(後にマタ・ハリ)は、1882年オランダの小村の裕福な家庭に生まれる。

マルガレータが13歳になった年、父親は破産する。

この頃から、家庭が崩壊しはじめる。

父親の気持ちはすさみ、家族に呵責を起こすようになる。

夫婦の軋轢はますますひどくなり、法律上別居する。

マルガレータの母親は、試練に耐えられず、以前からすぐれなかった健康が、たちまち衰え始め、マグレータが14歳のときに亡くなる。



以来、マルガレータと二人の弟たちは、ちりぢりにばらばらになり、親戚の家を転々とすることになる。





18歳になったある日、新聞の交際欄に

「当方休暇のため本国に帰省中の、東インド諸島軍勤務のあった妻を求む・・・」


という広告文をみつける。

マルガレータは、早速手紙を送る。

何の後ろ立てもない女が生きていくには結婚するしかなかった時代である。

19歳のとき、40歳のマックレオド大尉と結婚する。





だが、マックレオドは断るごとに彼女を虐待した。

数限りない不倫をし、金を使い果たす。

金は渡さず、彼女を殴り、弾丸をこめた銃をこれ見よがしにふりまわし、マルガレータの顔に唾を吐きかける。

人前で罵倒され、無礼な侮辱を受けながらも、マルガレータは耐え忍んだ。





二人の間には、ノルマンという息子とノンという娘がいた。

東インド諸島滞在中、ノルマンが乳母によって毒殺される。

マックレオドが乳母の意思に反して、彼女を強姦したことに憤慨した恋人の兵士が、彼女を説き伏せて復讐させたのだ。

だが、マックレオドは、ノルマンの死の責任は子供たちの食事を自分で用意しなかった妻にあると、マルガレータを責めた。

マルガレータは、ジャワ島のバニュビルで腸チフスにかかり、何ヶ月も病床にあるも、マックレオドの虐待は続いた。





マックレオド自身の健康状態も悪化したこともあり、彼は退役し、一家はオランダに戻る。

マルガレータは、夫の虐待を理由にした離婚申請をする。





裁判所は、マックレオドに月に百フロンの養育費を支払うように命じた。

だが、彼は一度も金を送らず、まもなく隙をみて娘を誘拐した。

再調停されるのだが、マックレオドは金銭面でも親権の面でも裁定に従おうとしなかった。

捨てられた女が幼子を抱えて生きていくことは難しい時代である。

マルガレータは娘を諦めざるをえなかった。

その後、彼女は、娘に一度しか会うことができない。





マルガレータは、パリに向かう。

そのとき、マルガレータは27歳になっていた。

パリでは、当初画家のモデルになろうとしたが、とても食べていけなかった。

マルガレータは一文無しのままオランダに帰るが、仕事を見つけることはできなかった。

再びパリにでて、乗馬学校での仕事を見つける。

が、あいかわらず生活は苦しかった。





乗馬学校の経営者が、彼女の美貌と均整のとれた体に目をつけ、ダンサーになることを勧めた。

マルガレータは、前年に知り合ったフランス人外交官マルゲリ(最初の愛人)に連絡をとり、ジャワの踊りを披露した。

彼は、知り合いを通じて、マルガレータをサロンに紹介した。

そこがマルガレータのデビューの場になる。



マルガレータは、ダンスの訓練を受けたことは一度もなかった。

ジャワ島(東インド諸島)の民族舞踊を見よう見真似で取り入れ、踊った。

官能的にからだをくねらせ、ヴェールを一枚一枚脱ぎ捨て、ヌードを披露していく。

当時のヨーロッパにおける東洋幻想とも合致し、彼女のダンスは反響を呼ぶ。





東洋美術館からのオファーがあり、そこでの成功が芸術家へと脱皮させることとなる。

マタ・ハリ(マレー語で“暁の光”)と名を替え、東洋生まれの踊り子と素性を機会があるごとにでっちあげていく。

マタ・ハリはヨーロッパ中でもとくに報酬の高いダンサーとなり、オリンピア劇場、モンテカルロ・オペラ、ミラノのスカラ座、ウィーンのゼツェッション・アート・ホールなどの舞台にたつようになる。





ショー・ビジネスの世界では、一夜にしてのし上がったものにままあるように、彼女もまた湯水のように金を使った。

ひと財産がドレスに、帽子に、靴に、宝石に消えてた。





だが、芸人人生がはじまってわずか数ヶ月で下降線を描きはじめる。

一流の劇場での役を射止めようと躍起になるが、ことごとく失敗に終わる。

一方、彼女の浪費癖はとどまることはなく、あちらこちらに借金をつくるようになる。



しだいに、彼女は高級娼婦へと身を落としていく。

マタ・ハリ38歳。

皮肉なことに、社交界、政財界、軍の実力者から皇太子にいたるまで、高級娼婦としての名声を高めていく。





1914年第一次世界大戦が勃発する。

ヨーロッパ各国の軍隊、政治、外交の分野で地位の高い権威者たちを愛人にもつ彼女は、イギリスの不審人物リストに載る。

ドイツのスパイでないかと疑われ、常に尾行がつくようになる。





マタ・ハリは40歳のとき、生まれてはじめて本物の恋に落ちる。

彼の名は、ウラディミール・ド・マスロフ。

ロシア帝国特別第一部隊に属する21歳の大尉。

彼女は大人なってからずっと、自分より裕福で、たいていは年上の男性に、生活を頼っていた。

それが、はるか年下の男の保護者になった。

21歳のマスロフ大尉に送金するようになる。

マタ・ハリは、愛されるよりも愛する幸せを知る。





マルノフが負傷したという知らせを受ける。

マルノフはどうにか休暇をとって、パリにやってくる。

彼が毒ガスで喉をやられ、左目の視力を損ねたことを知る。

翌日、マタ・ハリは駅で彼を見送った。



マタ・ハリは、いてもたってもいられず、マルノフの駐留するヴィッテルへの通行許可証をいれようと画策しはじめる。

当時、ヴィッテルは交戦地帯であり、警察の許可証が必要だった。

警察署に出向いたが、全く相手にされない。

マタ・ハリは、旧友のジャン・アロールのすすめで、防諜機関の取りまとめ役である、ラドゥー大尉を訪ねる。



ラドゥーは、イギリスからの通知により、最初からマタ・ハリをドイツのスパイではないかと疑っており、二重スパイにしたら役立つと考えた。

フランスのために働かないか、とマタ・ハリにもちかけ、考えることを条件に通行証を出した。





マタ・ハリは、ヴィッテルでマルノフに再会し、彼から結婚を申し込まれる。

天にも昇る思いだった。



マタ・ハリは、マルノフの残った右目の視力も失ってしまうのではないか、とひどく心配した。

どんな事態になっても、彼の面倒をみると心に決めていた。

残りの人生を彼と暮らしたかった。

マルノフとの暮らしを立て、結婚を維持するだけのまとまった金が必要だった。

それに、これ以上金のために他の男に体を許したくはなかった。

マルノフを裏切りたくはなかったのだ。



彼女は成功報酬百万フランと引き換えに、フランスのスパイになることを引き受ける。



ラドゥーとの協議の末、担当地域はベルギー(ブリュッセル)に決まる。

戦争のせいで、ベルギーに入るにはオランダを通ってしか入れなかった。

彼女は、スペイン・イギリス経由でオランダに向かう「ホランディア号」に乗船した。



ファルマスへ入港したとたん、他のドイツ人スパイ、クララ・ベネディクスに間違われ、ロンドン警視庁に逮捕された。

疑いは晴れたものの、以前からマタ・ハリがドイツのスパイではないかという疑いも濃厚だったため、オランダへの入国が拒否され、スペイン(マドリッド)に戻された。



彼女は、ラドゥーに手紙を書き、指示を求めた。

が、一向に返事はなかった。

マタ・ハリは、焦った。

手柄をあげなければ、報酬はもらえない。

マドリッドで、情報収集をはじめた。



マタ・ハリは、マドリッドでドイツ陸軍武官フォン・カレに近づき、情報を引き出した。

マタ・ハリは、情報を送ったものの、ラドゥーから何の返事がないので狼狽した。

直接自分で情報を持ち込むため、パリに入国する。



が、マタ・ハリは逮捕される。

諜報活動、共謀、スパイ行為において、敵国に通じ、作戦に加担したというのが、その理由である。



マタ・ハリが、ドイツのスパイ活動をしたという確固たる証拠はなかった。

だが、金とために男と寝る、男を食い物する高級娼婦は、フランス社会の「腐敗」とみなされ、嫌悪されていた。

偏見と憎悪で、中には自己保身、利益のために、フランス軍は彼女の証拠をでっち上げていく。

彼女の無罪を立証できる証人はことごとく排除された。





マタ・ハリは、パリでも悪名高いサンラザール刑務所に送られる。

窓はなく、天井近くにある鉄格子の開口部から外の弱々しいガス灯のあかりが漏れてくるだけだった。

監房は暖房が入ることもめったになく、凍えるような寒さを耐えなければならない。

粗末な食事。

床を走り回るネズミ。

害虫だらけのベット。

汚物にまみれた独房での生活。



それでも、彼女は無罪を信じて耐えた。



1917年7月24日、パリ第三軍法会議で、死刑が宣告される。

10月15日早朝マタ・ハリは、処刑された。

銃殺だった。



マタ・ハリの遺体は、国への反逆者と関わりをもつのも恐れて、誰も引きとり手はなかった。

遺体は、パリ大学医学部の解剖室に送られた。


危険な愛人マタハリ―今世紀最大の女スパイ
危険な愛人マタハリ―今世紀最大の女スパイ
ジュリー ホィールライト /野中 邦子 訳/平凡社 (1994/02)


マタ・ハリ―抹殺された女スパイの謎
ラッセル・ウォーレン ハウ/高瀬 素子訳/早川書房 (1995/03)


マタハリ
マッシモ グリッランディ/秋元 典子 訳/中央公論社 (1986/03)



   



確かに、マタ・ハリの浪費癖はとどまることなく、

それを維持するために何百という男と寝た。

虚飾にまみれた軽率な人生だった。

それは否定しない。



だが、父親の破産、一家離散、不幸な結婚生活、長男の毒殺、最愛の娘にも会えない現実、

ストリップ・ダンサーとしての束の間の成功、生きていくために高級娼婦になったマタ・ハリ。



そんな彼女が40歳のとき、生まれて初めて恋をした。

愛する男と暮らせることをひたすら夢みた。

幸せになりたかったのだ。

そのために、命をかけた。



20世紀初頭は、女性の自己犠牲と欲求の抑圧を尊んだ時代だった。

知性と自立を求める女達の見せしめとして、マタ・ハリは槍玉にあげられた。

中世の魔女狩りと同じである。時代が生んだ悲劇である。



今は、自由に自分の人生を選択できる時代である。

自由がないというのなら、それは自分が「自分の中に制限をもうけている」のではないか。



その制限を、とっぱらうのも自由、そうしないのも自由。

とっぱらった未来を、輝かせるのも自由、悲劇的結末に向かわせるのもまた自由である。



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ジョルジュ・サンド(作家)

愛は存在する。幻ではないわ。今の私にはわかる。

愛の存在を素直に認めて、謙虚にならなくては。

私たちは、若さの驕(おご)りで、愛を逃した。

長い歳月の末、やっと気づいた。

真実の愛は、一度しかない。

私にとっては、彼だった。彼が私のすべて・・・・・。


―「年下のひと 」―





「年下のひと 」は、女流作家ジョルジュ・サンドと詩人ミュッセの愛を描いた映画です。

とにかく、切ないです。私的には、好きな映画のひとつです。

ジョルジュ・サンドはショパンとの愛のほうが有名かもしれません。

今回は、ジョルジュ・サンドです。






1804年7月1日に、オロール(のちにジョルジュ・サンド)は、パリで生まれる。

父は、貴族の血を引く士官。母は、小鳥商人の娘で、経済的理由から、父の上官の情婦になった女性。

4歳のとき、父が亡くなり、彼女と母は、父方の祖母のいるノアンで暮らし始める。

が、貴族的偏見から、当初からこの結婚に反対だった祖母と母との折り合いは悪く、数ヶ月で母は家を出ていく。

オロールは、母の愛情に飢え、母からの優しい言葉を待っていた。

だが、母はオロールに辛くあたり、オロールは残酷なまでに傷つけられていく。

その後、祖母がオロールを躾、教育の一切を引き受けた。

祖母やノアンの人たちは、母の生まれのことを悪く言う。

そんな母から生まれた自分も恥ずべき人間なのか。

自室に閉じこもることもあり、何をしても空しさを感じた。

心もすさむ。

オロールをみかねて、祖母は修道院行きをすすめる。

そこで、「生とは何か」「愛とは何か」を考えはじめる。






17歳のとき、祖母が亡くなる。

オロールは、祖母から遺産を相続したが、まだ未成年、後見人が必要だった。

母は後見人になろうと画策する。

オロールは、母から逃れるため、反対を押し切って、カジミール・デュドヴァン男爵と深い愛情のないまま結婚する。

カジミール27歳、オロール18歳。

翌年、長男のモーリスが誕生する。





新婚当初、夫に自分の夢を託していた。

家族の愛情にめぐまれなかったオロールは、理想の家庭を築くという平凡な夢を人並に描いていた。

夫との実りある会話、刺激しあえる知性、尊敬を分かちあう共感を望んでいた。

だが、夫は無教養で鈍感、狩りや酒や女にしか興味をしめさない。

しだいに、彼女は、心の中に埋めるすべのない空洞から、健康を害し、そして精神を病んでいく。





オロールは、その倦怠を、複数の男性との恋で紛らわした。

夫は、そのことを知りながら、気づかぬ振りをした。

オロールは、夫以外の男性の子を妊娠する。

長女ソランジュを出産。

オロールは罪の意識からか、娘に愛情を注ぐことができなかった。

母親からあまり愛されなかったこの娘は、のちにショパンの心を争うライバルとなって母親に復讐する。





1830年7月、オロールは、19歳の法律学生ジュール・サンドーと知り合う。

オロールはジュールの優しさに惹かれ、ジュールもたちまち恋のとりこになった。

その年、オロールに対する侮辱に満ちた夫の「遺言書」を発見したことから、夫婦関係はついに決裂。

一年のうち六ヶ月をパリで過ごす許可を手に入れる。

生活費は夫が毎月、夫婦の財産から支払うという条件だった。

オロール母子は、ジュール・サンドーと一緒にパリの屋根裏部屋に住んだ。






夫からの月々の送金だけではパリでの生活が不可能なことはすぐにはっきりした。

すぐに生計の道を探し始める。

ペンで自活するため、自分を売り込む。

そして、「フィガロ」紙に記事を書く仕事を得る。





ジュール・サンドーと合作で小説を書き、ジュール・サンドのペンネームで発表する。

サンドの勤勉さと才能に、自分の平凡さを自覚させられたジュール・サンドは、オロールのもとを去る。

オロールは、小説「アンディアナ」を書き上げ、ジュール・サンドをもじり、男性名のペンネーム、ジョルジュ・サンドの名で発表する。

女性解放、女権拡張を訴えた。

「アンディアナ」は、大反響を呼び、ジョルジュ・サンドの名は一躍文壇に鳴り響き、作家としての地位はゆるぎないものとなる。





女性の行動が制限されていた時代。

エスコートなしに、自由に行動し、そして、ドレスの裾を洗う出費を抑えるため、男装をした。

葉巻を吹かした。

思想も行動も当時としては、型破りな女で、さまざまなスキャンダルを生む。





1833年に、フロレスタン・ボーネル亭の晩餐会で、詩人アルフレッド・ミュッセ、出会う。

多くの知的な共通点が、二人を近づけた。

ミュッセは、文学界の寵児となりながらも、心に巣食う虚無感のために放蕩に明け暮れ、この時までに知り合った女性たちの多くは高級娼婦や売春婦であった。

初めて彼は激しい感情を抱いた。

ミュッセとの愛は、生きることへの癒しがたい倦怠感の底に沈み、命をたつことさえ望んだジョルジュに再び、愛することの、生きることの喜びを与えた。

ジョルジュ・サンド29歳、ミュッセ23歳。





二人は、愛を深めるため、ヴェネツィアに出発する。

マルセイユからジェノヴァに向かう船上で始まった、激しい下痢をともなったジョルジュの病気に、旅は予想だにしなかった展開を見せる。

耐え難い腹痛と高熱に打ちのめされたジョルジュの姿に、ミュッセの、ジョルジュに抱いていた幻想が崩れていく。

思い描いていた美しいイメージとかけ離れた目の前の女を、彼は憎んだ。

彼女に抱いていた気持ちを傷つけられたことを恨みに思った。

そばにいて看病するなど、思いつきもしない。





「ジョルジュ、僕は思い違いをしていた、僕は君を愛してはいないんだ」





という言葉を吐き、ミュッセは、夜ごと賭博場へ、街の女のところに行く。




今度は、ミュッセが発病し、17日間、半ば昏睡状態に陥り、高熱とともに精神錯乱の発作に見舞われる。

ジョルジュは、自分が診察を受けたイタリア人医師ピエトロ・パジェロを呼ぶ。

ミュッセは恐ろしい幻覚を生みだし、素裸で、大声でわめきながら部屋中を駆け回る。

片時も、ミュッセから離れず看病する。

パジェロも夜遅くまで彼女に付き添う。

しだいに、ジョルジュとパジェロの信頼が情熱的な愛情に変わっていく。





アルフレッドの意識は、半分朦朧としている。

ぼやけた輪郭がうっすらとみえる・・・・彼らはひとつのグラスを回してワインを飲んでいる。





やがて、ミュッセは回復する。

「君を愛していない」と言ったものの、彼にはジョルジュが必要だった。

燃えあがる嫉妬の感情は激しく、ジョルジュをおののかせた。





「正直に話してくれ、熱にうなされながら、僕はみた。医者と君が親密に、そうだろ。」

「誤解よ」

「見ろよ、嘘つきの顔を。君は僕を愛しはしなかった、一度も。嘘つき女、僕を愛したことなどなかった。」





とジョルジュの首を絞める。

ミュッセは、絶望に打ちひしがれる。

ミュッセは、ジョルジュをパジェロに託して、ひとりパリに戻る。





ミュッセのいないヴェネツィアはジョルジュの目のかつての輝きを失い、パジェロとの幸福も急速に薄れていく。





ジョルジュとミュッセは手紙のやりとりをする。

言葉が二人を再び結びつけた。






ジョルジュは、パリに戻る。ミュッセと再会する。

情熱が再び燃え上がる。



だが、最初の日から、アルフレッドの嫉妬が激化する。

繰る返される口論。絶望。





「・・・パジェロは僕らの中に存在する・・・彼は去った、それはわかっている・・・だが、彼は、君を変え、感謝の気持ちで自分を思い出すような何かを残していった。」





ミュッセは、ジョルジュのもとから去る。

ジョルジュは、会いたくてたまらなかったが、彼の方から歩みよってくるのを待っていた。

ところが、彼の兄ポールがジョルジュが訪問し、彼女に鍵を差し出した。

別れようという捨て台詞が、ついに脅しではなく、決定的な破局をもたらした。

いや、そんなはずはない!


彼女は安らぐこともできず、不安で気が狂いそうになる。

彼の家を訪ねる。が、会えない。

彼女は手紙を書く。書き続けた。

だが、彼の家族はすべての手紙を隠した。

彼のところに手紙が届くことはなかった。





彼女は、第三者に伝言を頼む。





だが、ミュッセの気持ちは動くことはなかった。





「許すことができないほど、僕は彼女を愛した。

それだけに、彼女の裏切りはひどすぎた・・・裏切りから受けた傷なら癒せる。

だが、嘘から受けた傷は癒せない。

僕は二度と彼女には会わない」





ジョルジュは、長かった黒髪を、自らの手で切り落とす。

二人の愛は終りを告げる。





ジョルジュはわが道を進んでいった。

彼女は、ノアンの所有権と子供たちの親権を取り戻し、年金と引き替えに夫と別れた。

その後も男性遍歴を重ねる。

だが、ミュッセとのような、エネルギーをすり減らすほどの恋はできないと思っていた。




1836年秋に、リストの愛人、マリ・ダグーのサロンで、ショパンに出会う。

ショパンを見たとたん、忘れていた情熱が蘇る。

感情が大きくうねりだした。

ショパンもまた、ジョルジュの慎み深さ、こまやかな心遣い、知性、優雅さに魅せられていく。

ジョルジュ34歳、ショパン26歳。





肺結核で、病弱なショパンを献身的に世話し、
彼の気分を少しでもよくするためにあらゆる努力をした。

ショパンが自己の芸術に専念できる環境を整えた。

ジョルジュは、彼にやすらぎを与え、深く愛し、理解した。

ショパンもまた彼女の愛にこたえ、彼女のためにピアノを弾いた。





だが、成長した二人の子供たちが二人の関係に影を落とすようになる。



1845年夏、息子モーリスは22歳、娘ソランジュは17歳。

母親の落ち着かない乱れた生活のために、母親の都合次第で、時に祖母に預けられたり、時には侍女や、次々と変わる家庭教師の世話にまかせっきりになり、彼らは、全く行きあたりばったりに育てられた。

母親の監督が行き届かず、きちんとしつけられなかった。

二人とも修養が足りず、利己的で思いやりがなかった。





母親に偏愛され溺愛されて育ち、母親の愛を独占したいモーリスは、心の中にショパンに対する嫌悪の念と激しい嫉妬を抱いた。

いつしか、一家の主人のように振る舞いはじめる。

ショパンに辛くあたり、嫌がらせをする。

ショパンの慣れ親しんだ下男を次々と解雇し、そのかわり自分の味方を引き入れ、ショパンを孤立させていく。

その状況のなか、ショパンは神経過敏になり、苛立ってかんしゃくを起こす。

ジョルジュと諍いがあった時には、母親にできるだけ同情的な態度をとり、母親を擁護する。

ジョルジュの心も次第に息子に傾き、息子を頼りにするようになる。





一方、ソランジュは、兄ばかりを偏愛し、自分を愛してくれない母ジョルジュに復讐するために、ショパンのジョルジュに対する愛情を、自分の方へ向けようと、ショパンを挑発的に誘惑する。

そんな二人を、ジョルジュが快く思うはずもない。

ソランジュは、母の男性関係について、あることないことを、ショパンに吹き込み、ショパンを嫉妬と猜疑心に狂わせていく。





ある日、ショパンと喧嘩したモーリスは、ショパンか僕かを選べ、と母に迫った。

結局、1846年、ショパンは一人ノアンを去る。





ソランジュは彫刻家クレザンジェと結婚する。

二人はパリで放蕩三昧をし、大きな借金を背負った。

二人はジョルジュの前の姿を現す。

ノアンの館を抵当にして借金を返したい、と脅かすような口調でジョルジュに迫る。

それが叶わないとわかると、暴力沙汰を起こし、散々荒らし廻ったあげく、持てるだけのものをいろいろ持ち去って引き上げた。

娘夫婦に立腹したジョルジュは、今後彼らを自分たちの家には出入りさせない決心をした。





ソランジュは、ショパンに、母親にひどい目に合わされ、ノアンを永久追放されたと告げた。

ソランジュは、自分の都合のように脚色し、ショパンの同情をひこうとした。

ショパンは、ノアンでの暴力沙汰の真相は知らされなかったので、妊娠している娘の体の具合が悪いというのに、ジョルジュがなぜそんなに娘に冷たくするのか理解できなかった。

そして、母親としてのジョルジュを非難する手紙を送る。





「彼らには、僕だけしかいないのです。僕は彼らを閉め出すべきだろうか?いや、僕はそうしない」





ジョルジュは、ソランジュ夫婦と手を切って、ノアンにやってくるという返事を期待していた。

また、ショパンが病気ではないかと心配していたジョルジュは、ショパンの手紙にひどく憤慨し、屈辱を感じた。

自分よりもソランジュを愛していると勘違いする。

女盛りの9年間を犠牲にして尽くした彼に裏切られたと解し、激しい怒りを覚え、憎悪の念がこみ上げてくる。





二人の関係に終始符が打たれる。





ジョルジュとの破局は、ミュッセと同様、ショパンの心身に致命的な打撃を与えた。

健康は急激な衰え、音楽の泉さえ枯れ果ててしまった。

もはや創作に慰めや喜びを見出すこともできなくなっていく。

ジョルジュと別れてからのショパンは死に一直線に向う。

ショパンは、死に至るその時まで、ジョルジュを思い続けた。

一方、ジョルジュもまた、破局後も、友人たちにショパンの消息を尋ね、健康状態を常に気にかけ続けた。





ショパンに去られ、最愛の娘にも背を向けられたジョルジュの胸中は深い悲しみに包まれていたが、その悲しみを原動力として、小説を書き上げ、次々と傑作を生み出していく。





二月革命の先頭にたつ。





晩年、ジョルジュのペンの方向性が変わる。

社会に疲れた人びとを一時的であれ、慰めることを使命と考えるようになる。

愛情・友情・信頼・自然をテーマにした作品を生みだしていく。

孫との幸せな生活が、ジョルジュを童話作家にする。

そして、文字を読めない社会層のために、演劇、人形劇によって、感動を与えることに、力をいれていく。





ジョルジュが46歳のとき、13歳年下の版画家マンソーと最後の恋に落ちる。

ジョルジュの愛人で初めてといっていいほど、頼りになる存在だった。

ふたりは同じように勤勉で、同じように自然を愛した。





「・・・つまり、私は彼を愛しているのです。

私は、心から彼を愛しています・・・そして、彼との年齢にもかかわらず、私の愛には驚くほどの静謐があります・・・私は変身したようです。

具合は良く、落ち着き、幸せで、すべてを、彼の不在さえも耐えています。

愛する者の不在を耐えたことのない私が言うのですから、おして知るべし

・・・私は幸せ、とても幸せです・・・

愛され、また完全に愛することができるのは、とても心地良いことですから、その終わりを予想するのは愚かなことでしょう

・・・私は46歳で白髪がありますが、そんなこと関係ありません。

人は若い女よりも年取った女を愛するのだということが、今わかりました。

継続すべきは人ではなく、愛なのです。

どうか神がこの愛を長続きさせてくださいますように。

なぜなら、これは善き愛だからです」





神は長続きさせてくれた・・・。





モーリスは、自分と5歳しか年の違わぬマンソーに対して、ショパンに見せたのと同じ嫉妬と敵意を抱く。

そして、マンソーを追い出しにかかる。

だが、今度はジョルジュがマンソーの後を追った。

ジョルジュは、マンソーを選んだ。

ジョルジュは、ノアンを去り、マンソーとともにパリ近郊のパレゾーに住み始める。

すでに、マンソーは結核におかされていた。

ジョルジュは献身的な看病をしたが、一年後マンソーは48歳の若さで息をひきとる。





ジョルジュは、孤独を友人たちに支えられた。
画家シャルル・マンシャル、作家フローベールなど。





1876年6月、ジョルジュ・サンドはノアンの館で、この世を去る。

享年72歳。



【アルフレッド・ミュッセとの恋】

年下のひと 特別版 
年下のひと 特別版
監督:ディアーヌ・キュリス
出演:ジュリエット・ビノシュ、ブノワ・マジメル

「年下のひと」
フランソワ=オリヴィエ・ルソー/吉田良子訳/角川文庫


赤く染まるヴェネツィア―サンドとミュッセの愛
赤く染まるヴェネツィア―サンドとミュッセの愛
ベルナデッド・ショヴロン/持田明子訳/藤原書店



【ショパンとの恋】

ジョルジュ・サンドからの手紙―スペイン・マヨルカ島、ショパンとの旅と生活
ジョルジュ・サンドからの手紙―スペイン・マヨルカ島、ショパンとの旅と生活
ジョルジュ・サンド/ 持田明子訳/藤原書店


ノアンの夏―ショパンとジョルジュ・サンド
ノアンの夏―ショパンとジョルジュ・サンド
ヤロスワフ・イワシキェヴィチ/つかだ みちこ/未知谷


ショパンの手紙
ショパンの手紙
ショパン アーサー・ヘドレイ/小松雄一郎訳/白水社




ショパンとサンド―愛の軌跡
小沼 ますみ/音楽之友社



【ジョルジュ・サンド全般】

ジョルジュ・サンド 1804‐76―自由、愛、そして自然
ジョルジュ・サンド 1804‐76―自由、愛、そして自然
持田明子/藤原書店



自立する女 ジョルジュ・サンド
小阪裕子/NHK出版


ジョルジュ・サンド―木靴をはいて月をとろうとした夢想者
ユゲット・ブルシャルドー/北代美和子訳/河出書房新社


ジョルジュ・サンドはなぜ男装をしたか
池田孝江/平凡社



【ジョルジュ・サンドの代表作】

愛の妖精
愛の妖精
ジョルジュ・サンド/宮崎嶺雄訳/岩波書店


薔薇と嵐の王子
薔薇と嵐の王子
ジョルジュ・サンド/ 田中真理子/柏艪舎


ジョルジュ・サンドセレクション (6) 「魔の沼」
ジョルジュ・サンド M.ペロー /持田 明子・大野 一道訳/藤原書店






ミュッセも、ショパンも、ジョルジュ・サンドと過ごした時期に後世に残る傑作を次々と生みだしている。

彼女は、才能ある男性の才能を、さらに輝かせる女性である。



だが、ジョルジュ・サンドとミュッセ、そしてジョルジュ・サンドとショパン、この二つの恋は、外的障害によって狂わされていく。

ミュッセのときは、医師パジェロ、そしてミュッセの家族によって、ショパンのときは、二人の子供たちによって・・・・。



ほんとに外的障害だけが原因なのか。

確かに、外的障害は、歯車を狂わせるきっかけになるかもしれない。

あくまで、きっかけにすぎない。

ほんとの障害は、自分の中にある。

自分のなかに生まれてくる驕(おご)り、プライド、猜疑心、嫉妬心が歯車を狂わせていく。

内的感情により、一度狂ってしまった歯車は、もう、もとには戻らない。

どんなに追いかけても戻ってはこないのだ。

誤解が誤解を生み、自分の意図に反して、大きく、大きく、狂っていく。



「愛」を語るのは簡単である。

だが、「本当の愛」は、生きる過程において、ありとあらゆる感情を味わいつくし、昇華させてはじめて、自分の中から溢れてくるのではないだろうか。

そこから、自分のなかに平和と静寂が生まれてくる。

相手がどうあろうとも、どう感じようとも影響を受けず、愛を流し続けることができる。



ジョルジュは、最後に平和な愛を知る。

二児の母として愛と創作に生き、時代に黙さず、民衆の側にたち闘った。

様々な経験を通じて、彼女もまた様々な内的感情を味わいつくし、昇華させたのではないだろうか。



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安西知津江(極道の妻)
私にとって、指を詰める行為は映画やテレビの世界。

あくまでフィクションでしかない。

現実にあるとしても、男のみに課せられた行為だと思っていた。



これは、実話である。知津江は指を詰めた。3回。

そのうち2回は男のために行った。

1回目はカタギの男との駆け落ち、

2回目は組の若い衆との火遊びにケジメをつけるために。



知津江はとにかく男に惚れられる。

そして、彼女のために命をかける。





昭和16年4月17日、知津江は、サラリーマン家庭の次女として東京郊外で生まれる。

とても内気な娘だった。

中学卒業後、自動車会社に就職し、昼は受付係・電話交換しとして働き、夜は経理学校に通う平凡な生活を送っていた。

そんな彼女だったが、あることがきっかけとなり、転落の人生を歩むことになる。




知津江の妹は中学に入る頃から、グレはじめ悪い連中とたむろするようになる。

19歳になったある日、妹に脅され、連れていかれた部屋で、

肌に般若の彫り物が刻まれた男たちに次から次へと犯される。

知津江の妹は極道に姉を売り渡したのだ。



「もう元にはもどれない」

「もう普通の女ではないんだ・・・・」



そんな思いがこみあげ、泣きながら夜の街を駆け抜ける。

そして彼女は家を出る。

そのまま、犯した男の女になってしまう。






知津江はキャバレーで働きはじめる。

21歳のとき県議会議員の愛人となり、自分の店をもたせてもらう。

その店に、谷口仙太郎という男が毎晩通ってくるようになる。

運命にひきづられるかのように、彼と夜をともにしてしまう。

仙太郎は胸と肩に桜吹雪の彫り物をもつ極道だった。

それを知ったときには、もう遅かった。

彼女は、仙太郎から離れられなくなっていたのである。

愛の証として、左肩に‘仙太郎’の文字とバラの花を彫り、
入籍する。





地獄が待っていた。シャブ、博打、散財、女、暴力。

殴る蹴る、椅子を振り上げ、それがガタガタに壊れるまで叩きのめす、髪の毛をつかんで家中を引きずりまわし、背骨が折れるまで木刀でめった打ちにする、ガラスの灰皿で頭を割る。

知津江は仙太郎からヤキを受け続ける。

組の切り回し。若い衆や仲間との付き合い。

レストラン、バー、ルーレット場の切り盛り。

警察への抵抗。裁判を引き延ばすための接待、偽装入院。

精も魂もつき果てる。





それでも、仙太郎とは別れられないでいた。





知津江は指を詰める。3度目の。

今度は仙太郎を裏切ったわけでもなく、

粗相があったのでもなかった。

“どこかへ行ってしまいたい”そんなどうにもならない気持ちから。





そんなとき、店の従業員の哲也と出会う。

知津江よりひとまわり年下だった。



「こんなことがバレたら二人とも殺されるかもしれないわ」

「見つかったら見つかったときのことさ・・・・・・人間はいつか死ぬんだから・・・」



哲也の気持ちが嬉しかった。

仙太郎に見つかってしまう。

リンチを受ける。

二人は血まみれになりながら逃げ出す。





一度は、電話口で泣く仙太郎の声に揺れ、戻ってしまう。





自分の弱さに気づく。

誰のせいでもない。妹のせいでもない。

妹は平凡な幸せを手に入れている。

一緒に暮らす母は、暴力を受ける娘の姿に耐え続け、
年齢よりも老け込み、やつれてしまっている。

自分を傷つけ、母までも傷つけてしまった。

すべて自分が引き起こした。

その事実を受け入れた。





仙太郎と訣別した。





知津江は、いま関西のはずれの小さな町で、小指を隠し、入れ墨を隠して、一人でひっそりと暮らしている。




私は指をつめた女
私は指をつめた女
安西 知津江 (著) 文庫 (2001/02) 文芸春秋




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