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竹内てるよ(詩人)

町をうたってとおる子供の声がきこえると、

病床の私のからだは突然あつくなり、こみ上げてくる咳に苦しみながら、唇から血液があふれて来る。

そしてその上にあつい涙がしたたりおちるのでありました・・・私の亡き子徹也よ。

こうした25年を経て、あなたにめぐり逢った名古屋の拘置所、そのコンクリートの塀にはつめたい雨が降っていて、なつかしさにその塀をさわる母わたくしの指先をつめたくしました。

疲れるとすぐ氷のようになる、心臓に病気のあるわたしの手をいちどもあたためてくれる日もなくて、あなたは34歳で今生を終り、漸く病をよくした私をただ一人はっきりと、たしかに現世に残しました。

―竹内てるよ―







1904年北海道札幌市に生れる。

父は銀行員。母は18歳の半玉だったが、結婚を反対され、石狩川で投身自殺をする。

その後、判事である祖父母に引き取られて育つ。

幼い頃から病弱で、6歳になるまで歩行もできない子供だった。

一家で東京に出るが、結核にかかり、女学校を卒業間近で中退する。



療養生活は1年続いく。その後、再度の学校生活をあきらめ働く。

「婦人公論」の二十周年記念号に小説が入選したのをきっかけにして、それから三年間の婦人記者生活に入る。





父は、女を次から次ととりかえて、生活は定まらず、借金をつくり、
祖父の財産を使い果たすようになる。

てるよ一家は次第に貧しくなっていく。

20歳のとき、父親の借金相手との縁談がもちあがり、老年の祖父母の生活を守るため、結婚する。

まもなく祖父母も他界。





妊娠。医者の反対を押し切り、生死をさまよいながら、男の子を出産。

出産が原因で、脊椎カリエスとなり、全く動くことのできない重症患者となる。

子供は、顔も見ないうちに里子に出されてしまう。



≪子供がつれて行かれた方角に顔を向けて寝てますと、涙は流れて耳に入りました。

せめて子供の泣き声でも聞こえはしないかとじっと耳をすませて、胸の鳴る音を聞きながら考えました。

この先何年生きられよう。≫







2年目のある嵐の日、一匹の小猫がてるよの部屋に飛び込んでくる。



≪今ここに世界中から見棄てられた病気の女がいる、『いかがですか』とたずねてくれる人もない。

そんな女のわずかにかわいている背中で息を休めている小猫がいる。

命とはこういうものではあるまいかと感じたとき、私は、もう一度、生きてみようと思いはじめました。

このままここに寝ていたのではいずれ終わってしまうだろう・・・

生きるためには、この家を出て、再生をしなければならない。≫







てるよは、顔見知りの炭屋のおじさんをつかまえ、ギブスをのこぎりで切ってもらう。

それから毎日、歩くためのトレーニングをはじめる。

半年後、やっと杖にすがって立てるようになり、一歩ずつ歩けるようになる。





25歳の冬、子供と一目会うことを条件に、離婚を申し出る。


「許してね、どうか許してね、どうしても、別れてゆかなければならない、そのかわり、いのち永らえて、きっと再会の日をつくるから、元気で大きくなってくださいね」





半町位歩いて、呼吸困難に陥り、土手の土の上に倒れる。

疲れと、悲しみが熱をさそい、激しく咳が出て止まらず、血がしずくをして唇に溢れてくる。

涙と共に土にしみ込んでいく。



≪生きたい、再生したい、ふたたびわが子に逢う日まで、がんばりたい。≫




唇の血液をふきとり、上半身を起こして、歩き出した。

そして、かつて若き日、文筆を志したころの友人の家にたどりつく。

高村光太郎に師事する。



病院で、肺と脊椎の病気のため、10年は寝ていなければならないと診断されながらも、ギブスのかかった胸の上に、一枚の板を立てて、その板に原稿用紙をはり、鉛筆で詩を書いた。



「生命の歌(詩文集)」がベストセラーとなる。

生活も次第に楽になり、弟子にもめぐまれ、詩人として、多忙な日々を送る。





50歳を迎えた年の暮れ、家に帰ると、二人の男が待っていた。


「・・・木村徹也という人を知っていますか?」

「それは、私の子供です・・・いまどこに?」

「名古屋の拘置所です」

「どうして?何の罪で」

「お気の毒ですけれど、やくざです。傷害で三年間の刑です」


からだがくずれていく。熱い涙があふれてきた。





名古屋拘置所で25年ぶりの再会をする。

徹也は27歳になっていた。


「許してね。

ほんとうに許してね、私が、あなたと別れることになったので、それで、あなたはこんなことになったのね。

ほんとうに許してください。許してください。」





徹也の出所を待ち続けた。

1年半後、町営住宅で2人は暮らし始める。

徹也は、てるこの友人の紹介で、建設会社で働きはじめる。

やっと掴んだ親子の幸せだった。





だが、徹也は、てるよを捨てて、家を出奔する。

昔の仲間とつるんで、会社の資材を一切持ち去り行方をくらました。



徹也はあらゆる顔見知りから借金をしていた。

18歳の娘を、誘惑し妊娠させ、捨てた。

その娘は半狂乱になっている。


「ほんとうに、ご迷惑をかけまして申しわけありません。

どうか許してください」


てるよは、泥と雨とでびしょぬれになりながら、次から次へとまわった。

雨にぬれた渡り板の上に、ひざをついて泣きながら、自分の甘さというものをはっきりと感じた。



≪そうよ、ほんとにそうよ、私はあなたのために何一つしてはいない。

ただの一度も、おしめ一枚、かえてやれなかった。

それで、愛情だけで、愛情だけで何とかと考えたことのその甘さ、観念にすぎなかった・・・・・母の愛とは何よ。

一体何よ、お前のいうのは観念ではないか、一体お前は、あの子のために何をしたのだ?何を?≫






徹也の持ち逃げの後片づけのため、物質的にも苦しい生活が続いた。

女詩人の収入などたかの知れたものだった。

健康もなく外に働きにいくこともできない。

電気料金が払えない、お米が買えない日もあった。

講演会を依頼されても、はいて行く草履もない。





どん底の生活のなか、知友から「能」の切符をもらう。

静御前の生きざまに心打たれる。



≪子供が親を捨てて行ったからといって、こんなにがっかりして、こんなに迷ってよいものであろうか・・一度の失敗でくじけてはならない。

二度失敗したら今一度、三度逃げられたら四度追いかけて、きっとあの子を真人間にするまで、どんなに辛抱をしてでも、苦労しなければならない。≫





徹也の消息を聞いては、病気の体をおして、探しにでかけた。





一通の手紙が届く。徹也は横浜刑務所にいた。

てるよが面会室に入っていくと、徹也はぼろぼろと涙をこぼした。



てるよは、徹也の仮出所の日を待ち続けた。





「ただいま」

徹也は帰ってくる。



「おまつりへ行ってみようか?」

徹也はうれしそうにうなずいて、立ち上がった。

二人はつれ立って夜の町へ出た。

30歳をすぎた息子と50歳半ばの母親。


「何か欲しいものがあったら買ってあげる」

「わた菓子がいい」



「早く働きたいよ。少しでも楽になるでしょう」

「貧乏にはなれているのよ・・・なにしろ東京にいるときは、質屋さんとなかよしで・・・」


二人の話は、果てしなく続いた。





二ヶ月後、徹也は癌と宣告される。もってあと半月か1ヶ月。



≪母親が結核を病んで、生き別れて、戦争を経験してヤクザとなり、前後6年の刑務所暮らし、そして今癌でとられるのだ。

34歳、男ざかりの年にして・・・これから、これからだというのに・・・。≫




「どうぞ、あの子をお助けください」





てるよは、少しずつ冷たくなってゆく手を握った。

徹也は、口許に微笑みをうかべたまま、静かに、息を引きとる。





その後、てるよは幾たびかの入院生活を送る。

入院生活の間に、たびたびのS・O・Sがあった。

命をとりとめて、61歳を迎えた。



≪この日は寒い凍るような日でした。

今日、私は、本掛がえりなのだと思ったのです。

世の常の生活をしていたなら、誰かが覚えてくれて、そして赤い帽子などで祝ってくれるものでしょう。

誰一人として私が、今日、たった一人の病室でこの日を迎えることを知りません。

そう思ったとき、私はほんとうの孤独を感じました。

自分という人間は、誰にも知られていない、そして誰も、自分を必要としていない、と思ったとき、私は今生で何かをなさねばならないと思いました。

もし、残生というものがあるならば、それをしっかりと生きてみようと思いました。

文学という個人の問題を出でて、多くの人々と共にあるためには、共に生きるためには、私はどう生きたらよいのであろうかと考えました

・・・打ち捨てられた61歳、それをふたたび、三度び、生かすために、

私は人間の不幸と本気でとりくんでゆこうと決心をいたしました。≫







翌年退院し、「永遠と人生」を再刊。人々の身の上相談をはじめる。





平成13年(2001)2月4日、老衰で死去。享年96歳。



海のオルゴール―子にささげる愛と詩 
「海のオルゴール―子にささげる愛と詩」
竹内 てるよ (著) 単行本 (2002/10) 家の光協会



静かなる夜明け―竹内てるよ詩文集
「静かなる夜明け―竹内てるよ詩文集」
竹内 てるよ (著) 単行本 (2003/06) 月曜社



いのち新し―魂の詩人・竹内てるよの遺作 
「いのち新し―魂の詩人・竹内てるよの遺作」
竹内 てるよ (著) 単行本 (2003/03) たま出版





竹内てるよの名は、

美智子皇后が、

スイスで開かれた国際児童図書評議会記念大会で、「頬」を「生涯忘れられない詩」として、引用されたことにより、脚光を浴びることになる。

過去2回にわたり、ドラマ化もされた。



60歳を過ぎてからの再生。

人生は、いくつになっても、どんな状況からも再生できる。

どんな小さな経験からでも、貪欲に食らいついて、消化しつくし、生かしていきたい。

なんか闘志に燃えているかもよぉ~!!o(≧∇≦o)(o≧∇≦)o





最後に「詩集 花よわれらは」から、


<頬>

生れて何も知らぬ 吾子の頬に

母よ 絶望の涙をおとすな



その頬は赤く小さく

今はただ一つのはたんきやうにすぎなくとも

いつ人類のための戦ひに

燃えて輝かないといふことがあらう



生れて何もしらぬ 吾子の頬に

母よ 悲しみの涙をおとすな



ねむりの中に

静かなるまつげのかげをおとして

今はただ 白絹のやうにやはらかくとも

いつ正義のためのたたかひに

決然とゆがまないといふことがあらう



ただ 自らのよわさといくじなさのために

生れて何も知らぬわが子の頬に

母よ 絶望の涙をおとすな







応援GO!GO!





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