生は挑戦して勝ち取る者のものだ。
愛においても、それはゆるぎのない真理である。
迷いも葛藤も苦悩も、結局は挑戦を決断のために用意されていることに過ぎない。
人生に練習はない。
ただ挑戦して勝ち取る者だけがその生を享受することができる。
生きて、愛して、実験して、冒険して、すべてのことに前向きに「YES」と返事すること。
― ジョアン・リー ―
NHKテレビ番組「ASIA WHO’S WHO」で、韓国を代表する
「国際的ビジネス・ウーマン」「国際的ビジネス界のファースト・レディ」として、紹介され反響を呼ぶ。
彼女は、1945年ソウルに生まれる。
幼い頃から、病気がちで、同世代の子供の集団に溶け込むことができなかった。
「貴族学校」とあだ名がつくほどの韓国一の金持ちの娘たちが集まる聖心女子学校(中学・高校)に通う。
が、中学に上がるころ、父親が腎臓病で仕事を失う。
病院の治療費と借金のため、家を売り払い、貧民街の小さな家へ引っ越す。
そのことが、彼女の疎外感をいっそう強めていった。
そんな彼女が、ソガン(西江)大学で、ケネツ・エドワード・キロレン、韓国名吉路連神父と出会う。
彼は、朝鮮戦争後、廃墟となった荒れ果てた土地を開拓し、大学を設立した、ソガン(西江)大学の創設者であった。
一人ぼっちでいる彼女を全く違う世界へ導いた。
彼女は吉神父の英語の原稿を韓国語に翻訳する手伝いをするようになる。
二人は友情を深めていく。
吉神父は、山や海へと大自然の中へ彼女を連れ出した。
だが、大学内では、神父が一人の女子学生と必要以上に親しくなっているという噂がたつ。
当時の学長の耳に入り、二人で会うことを禁止されてしまう。
憶測と悪意にみちた誹謗中傷が彼らを取り巻いた。
そして、吉神父に転属命令がくだる。
転属先は遠く南のはてだった。それは、正常の人事ではなかった。
会えないという障害が、二人に「愛し合っている」という気持ちを確認させることになる。
22歳の学生と48歳のイエズス会の神父。
今もそうだが、カトリック司祭には、結婚は許されていない。
彼女は苦悩する。
神父の築きあげた名誉と人生を全て奪ってしまうのではないか、と。
吉神父から手紙が届く。
「・・・愛のために破滅の奈落へ落ちつつあるとすべての人に言われても、私の魂だけは純粋です。
いま、ここで私は神様にお祈りをしています。
ジョアンを愛しているので、私たちの結婚を許し、また祝福してください・・・・」
彼女は、吉神父のプロポーズを受ける決意をする。
自分の人生と愛を自分で選んだ。
その日を境に、彼女は「魔女」と断罪されるようになる。
「貧民街の女が金持ちのアメリカ人の神父を誘惑して、玉の輿に乗り、物欲を満たそうとしている」
といった非難の言葉を大声で露骨に浴びせられる。
だが、彼女は耐えた。
講義室へはいり、そばに座ることを嫌って席をはずす人たちの視線にも負けず、
最後まで授業に参加し、まるで汚れたものを見るような目で見ている先生たちを正面から見つめた。
「魔女狩り」の集中砲火の中で、誇りをうしなわないように歯を食いしばって頑張った。
吉神父は精神病院に強制入院させられてしまう。
彼女が病院を訪ねたとき、
「どちら・・・様」
吉神父は名前をいって顔を近づけても彼女のことがわからなくなっていた。
学校と教会側は、結婚計画が社会全体に騒ぎを起こすのを恐れて、精神病棟に監禁し、過多な投薬と洗脳工作で吉神父の気持ちを変えようとしたのである。
その後、吉神父は強制的に国外退去させられる。
彼女と同様、アメリカに戻った神父の現実も厳しかった。
広いアメリカのどこにも吉神父を温かく迎えるところはなかった。
教会も家族も親戚も受け入れなかった。
彼は、高校を卒業してから30年間司祭として生きてきた。
50近い年齢で、世の中のことをなにも知らない男を雇うところはない。
それでも、彼はアメリカ中を探した。
飢え死にするわけにはいかなった。
シカゴの小さな町で子供たちの世話をする職を見つける。
仕事の報酬は驚くほど少なく、アパートの家賃を払うにもこと欠く生活だった。
が、給料の相当部分をはたいて、小さなブローチを彼女に手紙とともに送る。
「ジョアン、こちらの冬はとても寒いです・・・・
ここに、ジョアンの冬を温める小さいプレゼントを送ります。
じつは、今日、私は人生ではじめて給料というものをもらいました。
司祭としてではなく、一人の平凡な市民としてもらった、はじめての給料です・・・・
高いものではないけれども、それでも私の気持ちと体温がこもっているので、
あなたの胸に抱いてください・・・。」
彼女の目に涙が溢れる。
彼女は大学卒業後パスポートの申請をする。
だが、カトリック信者たちの「ビザを出してはいけない」という多数の嘆願書がそれを妨げた。
彼女は負けなかった。
学長に大使館に話しをつけて欲しいと懇願し、パスポートを手に入れた。
彼女は、一人でシカゴ行きの飛行機に乗った。
一文なし、親にも勘当され、友人も失い、天涯孤独になった。
彼らの未知なる人生は、体を横たえるだけの狭い部屋、
バラックのような粗末な建物からはじまった。
ケン(吉神父)はローマ法王へ嘆願書を出し続けた。
時間はかかったが、結婚承諾書を得て、カトリック信者として秘蹟を受けて結婚することができた。
ウェディングドレスもブーケもなく、お祝いの花も歌も客もいない式だったが、幸せだった。
生活は貧しかった。
ケンは決まりかけた大学副学長の職も、
若い外国の女性との結婚のために司祭職を捨てたという理由で、
ダメになってしまう。
ジョアンも働く決心をする。
働いた経験もなく、外国人であるという悪条件であったが、
なんとかタイピングの職を得る。
働きながら、勉強をし、イリノイ工科大学院心理学科に入学する。
勉学を続けながら、子供を産み、育てる。
卒業後は、修士号を買われて、カリフォルニア州政府の対民担当カウンセラーとして採用される。
ケンも、イリノイ工科大学の講師、同大学の発展基金募集委員会の責任者、メルタデコの西部地域の販売促進責任者の仕事についた。
家族も四人に増え、サンタモニカにプール付きの家を購入する。
「カリフォルニアンドリーム」を実現していく。
そんなある日、ケンが韓国に旅行したいと言い出す。
苦い思い出ばかりの韓国に5年ぶりに帰郷する。
バカンス旅行に寄った韓国で暮らし始めることになる。
彼女は、韓国一のチョソン(朝鮮)ホテルの門を叩く。
そして、PRマネージャーの仕事を勝ち得た。
そこが彼女の国際ビジネスのスタートとなる。
4年後、スター・コミュニケーションを設立する。
韓国に進出しようとする外国企業の、韓国でのPR、販売ルートの開拓、国際会議・国際博覧会・国際イベントなどの企画から誘致、準備、広報、進行までをこなす複合的サービスを提供した。
’88ソウル五輪を全世界にPRし、国交のない石油国ナイジェリアに秘密特使として潜入し、韓国企業の進出のルートを開拓した。
「ヨーロッパ先進工業国の国際博覧会」を開催し、新しい工作機械を韓国に入れるきっかけをつくった。
北アイルランドに韓国企業を進出さることに成功し、さらには韓国軍戦力増強のため、MD社の最新型戦闘機FA18の国内導入を周旋し歩いた。
彼女は「国際ビジネス界の星」と言われるまでになる。
23歳の恋、49歳の成功〈1〉
ジョアン リー 呉 恵淑 Joanne Lee
文園社 (2000/07)

23歳の恋、49歳の成功〈2〉
ジョアン リー 呉 恵淑 Joanne Lee
文園社 (2000/10)
彼女は、とにかくめげない。
女性であるというだけで、蔑まれる。
仕事ができるというだけで、妬みを受け、足をひっぱられる。
だが、仕事が楽になったと感じるまでは、やり続ける。
そうやって、あらゆる部署のあらゆる仕事をマスターしていく。
○ 何を任されても最善の努力を集中して注ぐこと
○ 一度任された仕事はそれを“自分の仕事”と思い、
報酬と条件にかかわらず完全に没頭すること
○ 仕事が単純になり楽にできると感じたら、やめる用意をすること
彼女がいまだに貫いている原則である。
自分の向き不向きで、合わないと次々と転職する人もいるが、
その反面仕事を楽に感じ、その仕事でいかなる発展も期待もないにもかかわらず、
怠惰と無気力症とマンネリの中で仕事をする人もいる。
彼女の仕事への取り組み方は学ぶところが多い。
自分を向上させるには、常に冒険心と勇気をもち続けることが大切なのだ。
覚悟のある女性は、何でも掴んでいく。
自分を信じて、命がけで飛びこんでこそ、
本当の恋もビジネスでの成功も勝ちうるのかもしれない。
応援GO!GO!
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
女たちの人生

特集