あくまでフィクションでしかない。
現実にあるとしても、男のみに課せられた行為だと思っていた。
これは、実話である。知津江は指を詰めた。3回。
そのうち2回は男のために行った。
1回目はカタギの男との駆け落ち、
2回目は組の若い衆との火遊びにケジメをつけるために。
知津江はとにかく男に惚れられる。
そして、彼女のために命をかける。
昭和16年4月17日、知津江は、サラリーマン家庭の次女として東京郊外で生まれる。
とても内気な娘だった。
中学卒業後、自動車会社に就職し、昼は受付係・電話交換しとして働き、夜は経理学校に通う平凡な生活を送っていた。
そんな彼女だったが、あることがきっかけとなり、転落の人生を歩むことになる。
知津江の妹は中学に入る頃から、グレはじめ悪い連中とたむろするようになる。
19歳になったある日、妹に脅され、連れていかれた部屋で、
肌に般若の彫り物が刻まれた男たちに次から次へと犯される。
知津江の妹は極道に姉を売り渡したのだ。
「もう元にはもどれない」
「もう普通の女ではないんだ・・・・」
そんな思いがこみあげ、泣きながら夜の街を駆け抜ける。
そして彼女は家を出る。
そのまま、犯した男の女になってしまう。
知津江はキャバレーで働きはじめる。
21歳のとき県議会議員の愛人となり、自分の店をもたせてもらう。
その店に、谷口仙太郎という男が毎晩通ってくるようになる。
運命にひきづられるかのように、彼と夜をともにしてしまう。
仙太郎は胸と肩に桜吹雪の彫り物をもつ極道だった。
それを知ったときには、もう遅かった。
彼女は、仙太郎から離れられなくなっていたのである。
愛の証として、左肩に‘仙太郎’の文字とバラの花を彫り、
入籍する。
地獄が待っていた。シャブ、博打、散財、女、暴力。
殴る蹴る、椅子を振り上げ、それがガタガタに壊れるまで叩きのめす、髪の毛をつかんで家中を引きずりまわし、背骨が折れるまで木刀でめった打ちにする、ガラスの灰皿で頭を割る。
知津江は仙太郎からヤキを受け続ける。
組の切り回し。若い衆や仲間との付き合い。
レストラン、バー、ルーレット場の切り盛り。
警察への抵抗。裁判を引き延ばすための接待、偽装入院。
精も魂もつき果てる。
それでも、仙太郎とは別れられないでいた。
知津江は指を詰める。3度目の。
今度は仙太郎を裏切ったわけでもなく、
粗相があったのでもなかった。
“どこかへ行ってしまいたい”そんなどうにもならない気持ちから。
そんなとき、店の従業員の哲也と出会う。
知津江よりひとまわり年下だった。
「こんなことがバレたら二人とも殺されるかもしれないわ」
「見つかったら見つかったときのことさ・・・・・・人間はいつか死ぬんだから・・・」
哲也の気持ちが嬉しかった。
仙太郎に見つかってしまう。
リンチを受ける。
二人は血まみれになりながら逃げ出す。
一度は、電話口で泣く仙太郎の声に揺れ、戻ってしまう。
自分の弱さに気づく。
誰のせいでもない。妹のせいでもない。
妹は平凡な幸せを手に入れている。
一緒に暮らす母は、暴力を受ける娘の姿に耐え続け、
年齢よりも老け込み、やつれてしまっている。
自分を傷つけ、母までも傷つけてしまった。
すべて自分が引き起こした。
その事実を受け入れた。
仙太郎と訣別した。
知津江は、いま関西のはずれの小さな町で、小指を隠し、入れ墨を隠して、一人でひっそりと暮らしている。

私は指をつめた女
安西 知津江 (著) 文庫 (2001/02) 文芸春秋
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