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山崎朋子(作家)

〔愛人の変心怒り切る〕

18日午前0時45分ごろ渋谷区代々木本町753で、代々木上原町1101女給大畑朋子(26)は、同****町*の***、会社員吉田茂三(29)に果物ナイフで頭などを切られ、3週間の傷をうけた。
吉田は間もなく代々木署に自首した。
朋子さんに男ができたのを恨んだらしい。

―毎日新聞(東京版)1958(昭和33)年5月18日付夕刊―






ふたつの眼を、生あたたかくて粘っこいものがふさいだ。血だ。

多量の出血で、心身喪失状態におちいり、記憶を失った。





どれほどの時間が経ったのだろうか、顔と手に走るするどい疼(うず)きで目が覚めた。

傷は、顔に7箇所、縫われた針の数は68針。
かばった両手の傷多数。

顔と顔をかばって前に出た両手は、鋭いナイフで切り裂かれていた。





朋子とその男性との間には、世に言う愛情関係などなかった。

今でいうストーカーである。





朋子は、その時26歳。

女優を夢見て、上京してきた。

貧しかったが、喫茶店でウェートレスをし、アルバイトとはいえモデルとして臨時収入を得ながら、演劇を学んでいた。

大手の出版社の週刊誌の表紙モデル、雑誌のイメージガールという話も決まり、女優への夢を掴みかけていた。





周囲の慰めも、白々しく思えた。

モデルや女優どころか顔じゅう傷だらけの女を雇ってくれるところなどあるはずない。

男から顔を切られた女と結婚しようという男性などいるはずない。

財産などなく身ひとつの私は、どうやって生きていけばいいのか。





若い看護婦が去ったあと、毛布を顔の上まで引き上げて、声を圧し殺して泣いた。

あの若くて綺麗な看護婦には、輝かしい未来があるけれども、顔じゅう傷だらけの私には、もはや人生はない。

死んでしまうのが一番良い。

この窓から飛び降りれば、すべてが終わり、もう、私は何も悩まなくて済むのに・・・。




彼女は退院し、警察病院に通院するようになる。

傷痕も身の内と思えるぐらい立ち直ることができたが、現実が重くのしかかった。

治療費と生活費のために、彼女は働かなくてはならない。

新聞の求人欄に眼を走らせ、幾通かの履歴書を郵送した。

いずれも面接選考で不採用とされる。

ようやく雇ってくれたところがあったが、仕事はというと清掃、それも主としてトイレの清掃であった。

顔に傷痕の残る女に社会が与えてくれたのは、このような仕事しかなかった。

会社の指示によって日に幾軒かの会社やら飲食店などを回り、トイレとその周辺の掃除をした。

だが、両手に受けていた傷による引きつりのために、重いバケツをもつことも、モップを自在に使うこともできなくなった。



朋子は、唯一の仕事を失った。



この先の生計の不安と辛さで打ち拉がれていたとき、以前勤めていた喫茶店ロンから声がかかった。

そして、なんとかレジスターの仕事を得ることができた。





数ヶ月が経った秋の夜、児童文学者である上笙一郎(山崎健寿)と出会う。

半年後、プロポーズされる。


「朋子さん、わたしは、誇れる家柄も学歴もない。
不安定な売文暮らしで、定収入もない。
その上、過去に結核の患っていました・・・わたしは、あなたに、『しあわせを約束します』と言うことができません。
しかし、あなたを好きだし、信頼しているつもりだし、対等の立場で協力し合って暮らし、一緒に学んでいくことはできると思うし、そのように努めるつもりです。
ですから、どうか、わたしと結婚して下さい。」


上は、朋子の過去も、顔の傷も受け入れてくれた。

朋子は承諾する。





貧しいながらも、二人の生活はスタートした。

やがて、長女美々も誕生する。

朋子は、上の仕事を見よう見真似に、文章を書き始める。

上との共著「日本の幼稚園―幼児教育の歴史」を書き上げ、第20回毎日出版文化賞に選ばれる。



朋子は、「アジア女性交流史研究会」を立ち上げ、歴史上、存在さえも無視されてきた、アジアの、弱くて虐げられた女性たち、みずからの性を売らなければならなかった女性たちに目を向けるようになっていく。





そして、天草島で、宿命的な出会いをする。

崎津の天主堂で、身なりの貧しい小柄な老婆と出会う。

彼女の名は、山川サキ。70歳前後。

朋子は、サキが「からゆきさん」であった、との確信を強め、彼女の過去を聞きだすため、その目的を隠し、サキと共同生活をはじめた。





今にも崩壊しそうなあばら屋、畳は腐り、ムカデの巣と化していた。

井戸もなければトイレもなく、ひと月を、息子から送られてくる、4千円の金で生きていた。

経済高度成長のまっただなか、困窮者に最低生活をさせるべく国が出す生活保護費だって、約7千円という時に、彼女はたったの4千円で命をつないでいたのである。

しかも、幾匹もの捨て猫に、「これも、命あるものじゃけん」と言って情けをかけ、餌を扶持しながら。





サキは、10歳のとき、女衒(ぜげん)の口車を信じて、東南アジア(北ボルネオのサンダカン)へ行き、13歳で客をとらされた。

借金は3百円がいつの間にか2千円にふくれあがっていた。

利子は増え続け、13歳のサキにその借金の重みがズッシリとのしかかり、外国人相手の娼婦として、地獄のような生活を送る。

多いときは、ひと晩に30人の客をとらされた。

月のもののときも、からだの奥にきつく紙を詰めて、客をとった。

病気になっても、仕事を休むことはできなかった。



20年あまりの歳月の後、頭の病になり、日本に帰される。

母は死に、兄の矢須吉も「からゆきさん」であるサキの外聞を気にして、避けるようになっていた。

サキの送金で建てた家には、居場所はなかった。

あれほど恋焦がれた天草も、もはや故郷ではなくなっていたのだ。

その後、満州に渡り、結婚し、男の子を産む。

敗戦後、すべての財産を奪われ、命からがら、日本に戻り、京都に住み始める。



夫も亡くなり、息子が二十歳を過ぎた頃、サキ一人で天草へ帰された。
息子は、「からゆきさん」であった母を恥じた。

結婚するのに、サキが邪魔になったのだ。

天草でも、村びとから差別の目を向けられながら、困窮を極めた生活を強いられていた。








朋子とサキの生活は三週間続いた。

最後の日、サキに、三週間もの間、なぜ自分の身の上について訊かなかったのか、たずねた。


「おまえが話さんものを、どうして、他人のうちが訊いてよかもんかね」


朋子は泣き崩れた。

軽率で思いやりのない人間は、人が誰にも打ち明けようとしない苦悩や秘密をいだいていれば、何とかしてそれを聞き出そうとするようなことが多い。

が、思慮深く思いやりのある人間は、そういう悩みをかかえた人を、その当人の気持ちのままにそっとしておき、何をしてやることもできず、その人を遠くからただ見守らざるを得ない苦しみを、自ら引き受ける。

誰に話しても癒えることのない苦悩を抱いたことのある朋子が誰よりも知っている。

なまなましい傷痕をかかえ、道を歩けばかならず人は振りかえり、友人たちは何となく遠ざかり、結婚の資格もなくなったと深く悩み続けた。

そういう朋子にとって、思いやりのある態度とは、顔の傷痕について何も訊いてくれないことであり、思いやりのない態度とは、同情心と引き替えにその傷のついた原因を、根堀り葉掘りたずねることであった。

なかには、最高学府にまで学んで良識をそなえていると見なされていながら、その傷痕はなぜついたのかと問いつめ、何ヶ所あるのかと指先で数え、そして髪でおおわれている片頬にはもっと大きい傷があるだろうと、調べてみる人びともあった。



自分の素性と滞在の目的を明かし、詫びた。


「もう、泣かんでよか、うちのことを本に書くちゅうことじゃが、おまえが書くとならなんもかまわんと。

うちは、外国のことでも村のことでも、おまえに嘘は爪の先ほども言うとらん。

本当のこと書くとなら、誰にも遠慮することはなか―」



サキは、なにもかも承知の上で、朋子を受け入れ、もっとも知られたくない秘密をつかみに来た女に力を貸していたのだ。



朋子は、別れを惜しみながら帰京する。





4年後、「サンダカン八番娼館」として、筑摩書房から出版する。

翌年、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

評判が評判を呼び、その波が増刷につながり、世界各国で翻訳、出版された。

映画監督として知られる熊井啓さんよって映画「サンダカン八番娼館・望郷」が作られる。

アカデミー賞にて外国映画賞、ベルリン国際映画祭にて、田中絹代は女優賞を受賞する。



【書籍】

サンダカンまで―わたしの生きた道
「サンダカンまで―わたしの生きた道」
山崎 朋子 (著) 単行本 (2001/11) 朝日新聞社



「サンダカン八番娼館」
山崎 朋子 (著) 文庫 (1975/01) 文藝春秋




【DVD】

サンダカン八番娼館 望郷
『サンダカン八番娼館 望郷』
出演:田中絹代、栗原小巻, 高橋洋子
監督:熊井啓






あの事件がなければ、女優として成功していたかもしれない。

だが、第三者の歪んだ悪意により、美しい容姿は、切り裂かれた。

経済的にも精神的にもどん底に突き落とされた。

突き落とされてはじめて経験した痛み。

痛みを体験したものだけが、痛みを共感できる。

彼女は、痛みから自分の使命を知る。

歴史的に貶(おとし)められ、虐げられた女性の人間的回復を願う。

今もなお、その活動は続いている。





人生は完璧ではない。

突発的な不幸に巻き込まれることもある。

大切なのは、そこから何を学ぶか、それを糧に、これからの人生にどう生かしていくか、なのだ。

精神的に絶望して、自堕落になってしまっては、もったいない。

人生を無駄にしてはいけない。

自分の生きる意味、使命を知るチャンスなのだから。





最後に、彼女は、次のように述べている。


「私の人生は、万丈とまでは行かないけれど波瀾に満ちた方だ・・・・

波瀾とは、人生の浮き沈みの激しかったということであり、大体において不幸を意味する。

わたしも、波乱が多かった分だけ不幸だったのだろうか。

しかし、その不幸に拉(ひし)がれ終わるのではなく、それに学んで日向的に生きようと決意し、いささかながら、そのように歩めたことは、幸せであったと言わなければならないだろう。

そして、そのように思いつつ、いま、わたしは、風にそよぐ庭前の草木の葉叢に眼を預け、胸に一種平安の心の少しずつ沸き満ちて来るのを感じているのである。」

―山崎朋子―







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コメント
この記事へのコメント
TBありがとうございます
面白い企画のbiogだと思います。
時々、読ませていただきます。
2005/06/12(日) 04:08:31 | URL | f_scenario #0CwcchFo[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2005/06/12(日) 07:34:59 | | #[ 編集]
山崎朋子
TB 有難うございました。『サンダカン八番娼館』を書いた山崎朋子さんにそのような背景があることを初めて知りました。
2005/06/29(水) 22:27:20 | URL | mikionz #-[ 編集]
ありがとうございました。
TBをありがとうございました。
これからも宜しくね
2005/06/30(木) 12:55:19 | URL | ka-ma-kun #RaJW5m0Q[ 編集]
女性の美しい生き方に心うたれます
小林多喜二は革命のため生命をささげたプロレタリア作家というイメージが一般的であるようです。

しかし、それは晩年の数年、満州事変以降の厳しく難しかった時代を生きた時代の一つの姿です。
 その一方で、多喜二ほど、あの時代を生きる女性の姿を描こうとした作家を私は知りません。
全集の第一作は、「継祖母(ままそぼ)のこと」で、祖父のもとに嫁いてきた女性の悲劇を描いていますし、プロレタリア文学界にデビューしたのも「女囚徒」という戯曲です。
「蟹工船」や「一九二八年三月十五日」などとはまったく異なった世界です。
        ◇
山崎朋子さんの肉声を、憲法を守る集会で始めて聞けて幸いでした。
また、山崎さんのいろんな面を教えていただき感謝します。
こんごともよろしく。
2005/07/01(金) 16:05:50 | URL | 佐藤三郎 #hE4kmW4M[ 編集]
ルルさま、初めまして。
彩奴さんのブログのリンクから伺いました。

どの記事にも、
あまりに深い女性の人生のリアルが
描かれていて引き込まれました。

もし、よろしければリンクさせていただけないでしょうか?
これからも興味深くまた楽しみに拝読します。
2005/07/08(金) 04:33:30 | URL | リリ #-[ 編集]
素晴らしい内容をありがとうございます
6月に、こちらにTBしていただきました。http://jpcncolumn.jugem.jp/?eid=28#trackback
あのコラムブログはネットワークの仲間有志で作っていますので、今さらながら読ませていただき、ありがとうございます。

個人的に、このブログは、とてもうれしいです。
私が幼児教育に想いをはせる原点となった著者に、このような背景があったとは…

TBしていただいたブログとは別に、個人のブログがありますので、近いうちにそちらからここへTBさせていただきたいと思っております。
どうぞよろしくお願いいたします。


2005/08/26(金) 22:42:48 | URL | sarada #wrB61YYk[ 編集]
感無量です。
サンダカンに関して調べようと検索して、こちらにたどり着きました。検索を一時中断して記事を読み、感無量です。
 山崎朋子さんの生き方にも、天草のサキさんという女性の人柄にも・・・。ネット上で、こうした感動を味わうことができて、感無量です。
 また、訪れさせていただきます。
2005/12/09(金) 22:02:23 | URL | まざあぐうす #9L.cY0cg[ 編集]
自分史という分野
色付きの文字昨夜、サンダカンまでを読み終えて興奮さめやらぬままに、ここにも寄ってみました。時代背景の切取り方が完璧でした。ミミさんの誕生に自分をシンクロさせながら、母子の葛藤は奥さんの気持ちや、自分と我が子の様子に照らし合わせながら読み進みました。そして文学への道を辿る強い生き方には大いにリスペクトしました。女性の好奇心と創造力にしっかり男性として向かい合わないといけないなとも思いました。そう上さんのように。
2006/03/28(火) 11:08:22 | URL | 倫族 #1wIl0x2Y[ 編集]
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※写真はクリックすると拡大表示されます 前の日、よくあることだが1食しかしなかったので、今日は由比ガ浜通りの「つるや」で鰻重を食べる。 できあがるまでに40~
2005/06/12(日) 07:39:47 | Radical Imagination
「サンダカン・・」泣いちゃった。めったに泣かない(泣きたくないのさ)私だけど、後半は涙なしには読めなかった。
2005/06/12(日) 09:36:09 | 魔幻季節館 日記
CSで『サンダカン八番娼館 望郷』を見ました。からゆきさん と呼ばれる海外売春婦の悲しく衝撃的な話が孤独に暮らす老婆から語られる話である。女って悲しいね。貧乏って悲しいね。戦争はイヤだね。なんだかいろいろな思いが交錯します。自分が抱えている悩みなんてチッポ
2005/06/13(月) 09:31:02 | Mondo の つ・ぶ・や・き
「田中 絹代」は、話には聞いていたが 日本の歴史に残る女優だと納得しました。歳をとった時の役だったが、あの表情は役者魂と思えるほどの演技です!1974年の映画 とゆうことは、私が小学生かぁ{/hiyo_eye/}しかし、見終わった後、深く深く残りました。海を渡って、日本を
2005/06/17(金) 08:30:45 | しょこら倶楽部
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