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マタ・ハリ(踊り子・スパイ)

・・・・現在、私のまわりでは、何もかもだめになろうとしており、誰も彼も背を向けています。

その人のためなら火の中もくぐる思いだった人までも。

人間は臆病なものだということを、こんなにもしみじみ思ったことがあったでしょうか・・

私はひとりぼっちです。

ひとりわが身を弁護することにします・・・・・・

―マタ・ハリ―







マグレータ・ヘルトロイダ・ツェレ(後にマタ・ハリ)は、1882年オランダの小村の裕福な家庭に生まれる。

マルガレータが13歳になった年、父親は破産する。

この頃から、家庭が崩壊しはじめる。

父親の気持ちはすさみ、家族に呵責を起こすようになる。

夫婦の軋轢はますますひどくなり、法律上別居する。

マルガレータの母親は、試練に耐えられず、以前からすぐれなかった健康が、たちまち衰え始め、マグレータが14歳のときに亡くなる。



以来、マルガレータと二人の弟たちは、ちりぢりにばらばらになり、親戚の家を転々とすることになる。





18歳になったある日、新聞の交際欄に

「当方休暇のため本国に帰省中の、東インド諸島軍勤務のあった妻を求む・・・」


という広告文をみつける。

マルガレータは、早速手紙を送る。

何の後ろ立てもない女が生きていくには結婚するしかなかった時代である。

19歳のとき、40歳のマックレオド大尉と結婚する。





だが、マックレオドは断るごとに彼女を虐待した。

数限りない不倫をし、金を使い果たす。

金は渡さず、彼女を殴り、弾丸をこめた銃をこれ見よがしにふりまわし、マルガレータの顔に唾を吐きかける。

人前で罵倒され、無礼な侮辱を受けながらも、マルガレータは耐え忍んだ。





二人の間には、ノルマンという息子とノンという娘がいた。

東インド諸島滞在中、ノルマンが乳母によって毒殺される。

マックレオドが乳母の意思に反して、彼女を強姦したことに憤慨した恋人の兵士が、彼女を説き伏せて復讐させたのだ。

だが、マックレオドは、ノルマンの死の責任は子供たちの食事を自分で用意しなかった妻にあると、マルガレータを責めた。

マルガレータは、ジャワ島のバニュビルで腸チフスにかかり、何ヶ月も病床にあるも、マックレオドの虐待は続いた。





マックレオド自身の健康状態も悪化したこともあり、彼は退役し、一家はオランダに戻る。

マルガレータは、夫の虐待を理由にした離婚申請をする。





裁判所は、マックレオドに月に百フロンの養育費を支払うように命じた。

だが、彼は一度も金を送らず、まもなく隙をみて娘を誘拐した。

再調停されるのだが、マックレオドは金銭面でも親権の面でも裁定に従おうとしなかった。

捨てられた女が幼子を抱えて生きていくことは難しい時代である。

マルガレータは娘を諦めざるをえなかった。

その後、彼女は、娘に一度しか会うことができない。





マルガレータは、パリに向かう。

そのとき、マルガレータは27歳になっていた。

パリでは、当初画家のモデルになろうとしたが、とても食べていけなかった。

マルガレータは一文無しのままオランダに帰るが、仕事を見つけることはできなかった。

再びパリにでて、乗馬学校での仕事を見つける。

が、あいかわらず生活は苦しかった。





乗馬学校の経営者が、彼女の美貌と均整のとれた体に目をつけ、ダンサーになることを勧めた。

マルガレータは、前年に知り合ったフランス人外交官マルゲリ(最初の愛人)に連絡をとり、ジャワの踊りを披露した。

彼は、知り合いを通じて、マルガレータをサロンに紹介した。

そこがマルガレータのデビューの場になる。



マルガレータは、ダンスの訓練を受けたことは一度もなかった。

ジャワ島(東インド諸島)の民族舞踊を見よう見真似で取り入れ、踊った。

官能的にからだをくねらせ、ヴェールを一枚一枚脱ぎ捨て、ヌードを披露していく。

当時のヨーロッパにおける東洋幻想とも合致し、彼女のダンスは反響を呼ぶ。





東洋美術館からのオファーがあり、そこでの成功が芸術家へと脱皮させることとなる。

マタ・ハリ(マレー語で“暁の光”)と名を替え、東洋生まれの踊り子と素性を機会があるごとにでっちあげていく。

マタ・ハリはヨーロッパ中でもとくに報酬の高いダンサーとなり、オリンピア劇場、モンテカルロ・オペラ、ミラノのスカラ座、ウィーンのゼツェッション・アート・ホールなどの舞台にたつようになる。





ショー・ビジネスの世界では、一夜にしてのし上がったものにままあるように、彼女もまた湯水のように金を使った。

ひと財産がドレスに、帽子に、靴に、宝石に消えてた。





だが、芸人人生がはじまってわずか数ヶ月で下降線を描きはじめる。

一流の劇場での役を射止めようと躍起になるが、ことごとく失敗に終わる。

一方、彼女の浪費癖はとどまることはなく、あちらこちらに借金をつくるようになる。



しだいに、彼女は高級娼婦へと身を落としていく。

マタ・ハリ38歳。

皮肉なことに、社交界、政財界、軍の実力者から皇太子にいたるまで、高級娼婦としての名声を高めていく。





1914年第一次世界大戦が勃発する。

ヨーロッパ各国の軍隊、政治、外交の分野で地位の高い権威者たちを愛人にもつ彼女は、イギリスの不審人物リストに載る。

ドイツのスパイでないかと疑われ、常に尾行がつくようになる。





マタ・ハリは40歳のとき、生まれてはじめて本物の恋に落ちる。

彼の名は、ウラディミール・ド・マスロフ。

ロシア帝国特別第一部隊に属する21歳の大尉。

彼女は大人なってからずっと、自分より裕福で、たいていは年上の男性に、生活を頼っていた。

それが、はるか年下の男の保護者になった。

21歳のマスロフ大尉に送金するようになる。

マタ・ハリは、愛されるよりも愛する幸せを知る。





マルノフが負傷したという知らせを受ける。

マルノフはどうにか休暇をとって、パリにやってくる。

彼が毒ガスで喉をやられ、左目の視力を損ねたことを知る。

翌日、マタ・ハリは駅で彼を見送った。



マタ・ハリは、いてもたってもいられず、マルノフの駐留するヴィッテルへの通行許可証をいれようと画策しはじめる。

当時、ヴィッテルは交戦地帯であり、警察の許可証が必要だった。

警察署に出向いたが、全く相手にされない。

マタ・ハリは、旧友のジャン・アロールのすすめで、防諜機関の取りまとめ役である、ラドゥー大尉を訪ねる。



ラドゥーは、イギリスからの通知により、最初からマタ・ハリをドイツのスパイではないかと疑っており、二重スパイにしたら役立つと考えた。

フランスのために働かないか、とマタ・ハリにもちかけ、考えることを条件に通行証を出した。





マタ・ハリは、ヴィッテルでマルノフに再会し、彼から結婚を申し込まれる。

天にも昇る思いだった。



マタ・ハリは、マルノフの残った右目の視力も失ってしまうのではないか、とひどく心配した。

どんな事態になっても、彼の面倒をみると心に決めていた。

残りの人生を彼と暮らしたかった。

マルノフとの暮らしを立て、結婚を維持するだけのまとまった金が必要だった。

それに、これ以上金のために他の男に体を許したくはなかった。

マルノフを裏切りたくはなかったのだ。



彼女は成功報酬百万フランと引き換えに、フランスのスパイになることを引き受ける。



ラドゥーとの協議の末、担当地域はベルギー(ブリュッセル)に決まる。

戦争のせいで、ベルギーに入るにはオランダを通ってしか入れなかった。

彼女は、スペイン・イギリス経由でオランダに向かう「ホランディア号」に乗船した。



ファルマスへ入港したとたん、他のドイツ人スパイ、クララ・ベネディクスに間違われ、ロンドン警視庁に逮捕された。

疑いは晴れたものの、以前からマタ・ハリがドイツのスパイではないかという疑いも濃厚だったため、オランダへの入国が拒否され、スペイン(マドリッド)に戻された。



彼女は、ラドゥーに手紙を書き、指示を求めた。

が、一向に返事はなかった。

マタ・ハリは、焦った。

手柄をあげなければ、報酬はもらえない。

マドリッドで、情報収集をはじめた。



マタ・ハリは、マドリッドでドイツ陸軍武官フォン・カレに近づき、情報を引き出した。

マタ・ハリは、情報を送ったものの、ラドゥーから何の返事がないので狼狽した。

直接自分で情報を持ち込むため、パリに入国する。



が、マタ・ハリは逮捕される。

諜報活動、共謀、スパイ行為において、敵国に通じ、作戦に加担したというのが、その理由である。



マタ・ハリが、ドイツのスパイ活動をしたという確固たる証拠はなかった。

だが、金とために男と寝る、男を食い物する高級娼婦は、フランス社会の「腐敗」とみなされ、嫌悪されていた。

偏見と憎悪で、中には自己保身、利益のために、フランス軍は彼女の証拠をでっち上げていく。

彼女の無罪を立証できる証人はことごとく排除された。





マタ・ハリは、パリでも悪名高いサンラザール刑務所に送られる。

窓はなく、天井近くにある鉄格子の開口部から外の弱々しいガス灯のあかりが漏れてくるだけだった。

監房は暖房が入ることもめったになく、凍えるような寒さを耐えなければならない。

粗末な食事。

床を走り回るネズミ。

害虫だらけのベット。

汚物にまみれた独房での生活。



それでも、彼女は無罪を信じて耐えた。



1917年7月24日、パリ第三軍法会議で、死刑が宣告される。

10月15日早朝マタ・ハリは、処刑された。

銃殺だった。



マタ・ハリの遺体は、国への反逆者と関わりをもつのも恐れて、誰も引きとり手はなかった。

遺体は、パリ大学医学部の解剖室に送られた。


危険な愛人マタハリ―今世紀最大の女スパイ
危険な愛人マタハリ―今世紀最大の女スパイ
ジュリー ホィールライト /野中 邦子 訳/平凡社 (1994/02)


マタ・ハリ―抹殺された女スパイの謎
ラッセル・ウォーレン ハウ/高瀬 素子訳/早川書房 (1995/03)


マタハリ
マッシモ グリッランディ/秋元 典子 訳/中央公論社 (1986/03)



   



確かに、マタ・ハリの浪費癖はとどまることなく、

それを維持するために何百という男と寝た。

虚飾にまみれた軽率な人生だった。

それは否定しない。



だが、父親の破産、一家離散、不幸な結婚生活、長男の毒殺、最愛の娘にも会えない現実、

ストリップ・ダンサーとしての束の間の成功、生きていくために高級娼婦になったマタ・ハリ。



そんな彼女が40歳のとき、生まれて初めて恋をした。

愛する男と暮らせることをひたすら夢みた。

幸せになりたかったのだ。

そのために、命をかけた。



20世紀初頭は、女性の自己犠牲と欲求の抑圧を尊んだ時代だった。

知性と自立を求める女達の見せしめとして、マタ・ハリは槍玉にあげられた。

中世の魔女狩りと同じである。時代が生んだ悲劇である。



今は、自由に自分の人生を選択できる時代である。

自由がないというのなら、それは自分が「自分の中に制限をもうけている」のではないか。



その制限を、とっぱらうのも自由、そうしないのも自由。

とっぱらった未来を、輝かせるのも自由、悲劇的結末に向かわせるのもまた自由である。



応援GO!GO!



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